不動産投資で経済的自由を確立して北海道でセミリタイア生活を送る大家のブログ

サカモトハルキの『僕はこう思う』

サカモトハルキ(映画好き大家さん)。
北海道で5棟74部屋+月極などの大家さんやってる40代ブロガー。
会社経営者。
不動産会社勤務を経て、38歳で経済的自由を確立 。セミリタイア生活へ。
2011年より法人化(法人8期目)
ブログでは「お金」「不動産投資」「人間関係」「教育」などを中心に発信中。
映画と音楽が大好き!
家族と猫とのんびり自由に生きてる小学生男子2人のパパさんです。
国際NGO『プランジャパン』のチャイルドスポンサーもやってます。

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【売り手市場の今こそ考えよう!】 何の違和感もなく社会に適応してゆくことの危険性について

2018/10/21
 
この記事を書いている人 - WRITER -
サカモトハルキ
北海道で5棟74室+月極Pの大家さんやってます。会社経営者。不動産会社勤務を経て38歳で経済的自由を確立。セミリタイア生活へ。2010年12月より法人化(8期目)。ブログでは「お金」「不動産投資」「人生哲学」をテーマに発信中。映画大好き!奥さん&中1小4男子(あと猫も)とのんびり自由に暮らしてまーす。
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僕が学生だった頃、織田裕二主演で『就職戦線異状なし』という映画が公開された。

あの有名な槇原敬之の『どんなときも』という歌はこの映画の主題歌だ。

 

この映画はバブル期の学生たちの就職活動 を描いた画期的な映画だ。

この時も売り手市場だったが、現在も売り手市場となっていて、まさに就職戦線異状なし!という状況だ。

 

なんと内定率は80%を超え、学生たちは意気揚々と社会へ飛び出して行っているらしい。

 

世の中はだいぶ変わった。

人口減少社会、少子高齢化社会はこのような現象も引き起こすのだ。

 

僕も北海道の三流大学を卒業した後、 地元の中小企業に就職した。

当時は何も考えていなかった。

大学を卒業したら社会に出て就職をし、給料やボーナスをもらうものだと思っていた。

 

それが人生の全てだと思っていた。

その他の人生があるなんて考えてもみなかった。

 

今の学生たちもおそらくそうだと思う。

僕たちはホリエモンやマーク・ザッカーバーグのような天才ではないのだ。

学生のうちから起業して、大成功を収めるような才能も根性もない。

 

だから僕はこぞって社会に出てゆく学生たちを責めるつもりは全くない。

いや、むしろ一度は社会に出て揉まれた方がいい。

 

一度はサラリーマンを経験しておいた方がいい。

その経験は必ず後に立って役に立つだろう。

 

ただし、死ぬまで一生、サラリーマンでいればいいか?というと、それもどうかと思う。

僕はサラリーマンを否定しない。

だけどサラリーマンとは違う世界もあるのだということはおぼえておいた方がいい。

 

会社に就職するのは悪いことではない。

しかし、 頭の片隅のどこかに、

 

『ここはいずれ卒業する場所なんだ』

『ここに埋没してはいけないんだ』

『一生ここから抜け出せなくなってはいけないんだ』

 

という想いだけは持っておいてほしい。

 

そしてドロップアウトすることを恐れず、アウトサイダーになることを恐れず、 「いつかやってやるぞ!」という野心を抱いて就職してほしいと思っている。

 

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みんなと同じことを考え、同じ行動をすることの危険性について

好きなことをしてメシを食うというのはなかなか大変なことである。

文字通り、それは『言うは易く行うは難し』だ。

 

生活費を稼ぐためには好きではないこともやらなくてはならない。

給料やボーナスをもらうためには満員電車に乗らなければならないし、嫌な上司とも付き合っていかなければならない。

仕事をしていれば色々と面白くないこともあるし、 ノルマも課せられるだろう。

 

それが社会に出て働くということなのだ。

 

一度はそういう経験をしておいた方がいい。

そういった経験は必ず何らかの形で生きてくる。

 

人口減少社会によって売り手市場となり、以前に比べて就職するのが楽になったということは間違いなく良いことだ。

50社100社に履歴書を送り、数え切れないほど面接をしてもなかなか内定をもらえない就職氷河期に比べたらはるかにマシだろう。

 

ただ「人と同じ」であることを良しとしすぎない方がいい。

となりの山田さんと同じことを考えていれば幸せになれる時代はもう終わってしまったのだ。

 

組織の中で上手に立ち振舞うコミュニケーション能力も大事だが、組織の外で活躍できるようなクリエイティビティも大事である。

その両方のバランス感覚を持っている人がハッピーな人生を送れると僕は思っている。

 

だから就職戦線異状なしは良いことでもあると同時に、悪いことでもあるのかもしれない。

やっぱり何の苦労もせず、みんなと同じことを考え、みんなと同じような行動をとるということは一歩間違えたら、『思考停止』におちいってしまう。

_____それはかなり具合が悪い。

 

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社会適応しすぎるのも困りものだ!

人間は悩んだり、苦しんだりすることによって成長するものだ。

人間力を磨くためにはある程度の鍛錬も必要なのだ。

 

それが全くない状態のままスイスイと人生をすべっていってしまった場合、ヘタをしたら、『気が付いた時には人生が終わっていた・・・』という状況もありうる。

 

社会不適格者も困ったものだが、社会に適応しすぎるのも困ったものだ。

何の不満もなく、何の野心も抱かず、ただのんべんだらりと生きていると、人生はきっとあっという間に終わってしまうだろう。

 

何らエキサイティングなことも起きず、何ら感動することもなく、ただ歳をとっていくだけの人生・・・

果たしてそれは本当に幸せな人生だろうか?

 

僕は38歳の時に脱サラして起業した。

言うまでもないことであるが、それはとても恐ろしいことだ。

そのような選択をする人間はほとんどいない。

 

つまり僕はその時点で『マレビト』になったわけだ。

アウトサイダーだ。

ある人に言わせれば、社会不適格者だ。

 

だけど、その型破りが行動が僕の幸せに結びつくことになった。

僕は間違いなくサラリーマンをしていた頃よりもハッピーになれた。

もしもあのままサラリーマンを続けていたら、体が心かどちらかがおかしくなっていただろう。

いやもしかしたら、その両方がおかしくなっていたかもしれない。

 

それを回避できただけでも、僕はとても良かったと思っている。

 

安定した職業を捨てることはとても恐ろしいことだ。

それはとてつもないリスクを抱え込むことになる。

しかし『リスクなきところに飛躍はなし!』だ。

 

僕は人と違うことを考えることができる人間だった。

「人と違う」ということをネガティブに捉えるのではなく、ポジティブに捉えることができた。

だから人と違う行動をすることができた。

 

しかし、今も昔も「人と違う」ということは良くないことだとする風潮がある。

特にここ日本ではそのような向こう三軒両隣的な価値観が支配的だ。

そういった日本的な価値観を敵にまわす生き方はなかなかしんどいものがある。

 

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社会不適格者のススメ

しかしながら、そのしんどさと引き換えに『幸せ』がある。

もしも僕が日本的価値観に反発することなく、あのままサラリーマンを続けていたら、自由も幸せも手に入れることができなかった。

 

さて、あなたはどちらを選ぶだろうか?

 

売り手市場ということで学生たちが以前に比べて就職が楽になったということは 良いニュースでもあり、悪いニュースでもある。

学生たちは憧れの大企業に就職することができて、高い給料ももらえて、福利厚生もしっかりしていて・・・それだけを見れば確かに良いことづくめだろう。

 

だけど、そのことは必ずしも両手を上げて歓迎できることばかりではないような気がする。

既存の社会システムに何の疑問を抱かずに入ってゆくということは危険な側面もあると僕は考える。

そこに順応し、適用し、そのことに満足してしまったがゆえに失ってしまうものもあるような気がするのだ。

 

具体的にそれは何なのかは僕には分からない。

ただ何の違和感もなく社会に適応順応するということは、その社会に 取り込まれるということを意味している。

それは決して良いことばかりではないのではないだろうか。

 

例えば僕の場合は色々な人から散々『社会不適格者』と呼ばれてきた。

自分の中にアウトサイダー気質があることは認める。

しかしそのアウトサイダー気質があったからこそ、僕は脱サラ起業するという道を選択することができた。

 

人と違ったことを考え、人と違った行動をしたことがかえって人生を好転させることもあるのだ。

既存の社会システムの中に何の違和感もなく入ってゆくということは、僕が経験したような人生がひっくり返るようなキセキを経験することができないということを意味してはいないだろうか。

 

それに、その既存の社会システムというやつが果たして本当に問題のないものであるかどうか・・・

それはかなり疑わしい。

 

もしもそれが問題のあるものだったとしたら、その問題のあるものに違和感 を感じないということになってしまう。

それはある側面から見ると、かなり危険なことであるような気がする。

 

僕は何も全員が社会不適格者になればいいと言っているわけではない。

僕みたいにみんながみんなアウトサイダーになればいいと言っているわけでもない。

 

ただ「なんだか知らないけど、違和感がある」「これはおかしいぞ・・・」という感覚って、すごく大事だと思う。

そのレーダーがあるからこそ、 成功者になれる。

そのレーダーが反応しないということは、極端な言い方をすれば、簡単に誰かに騙される危険性があるということだ。

 

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主流を外れることはそれほど悪いことではない

例えば少子化の問題がある。

例えば日本の債務残高の問題がある。

その他にも日本には様々な問題が山積している。

 

既存の社会システムに OK を出すということは、間接的にこれらの問題に対しても OK を出すと言うことにはならないだろうか。

そしてそれは言うまでもなく、 既存の社会システムをこれからも維持していこうという勢力に協力することを意味している。

 

それでうまくいくならいいだろう。

だが僕は少子化の問題も、日本の借金の問題も、そんなに簡単に解決できる問題ではないと思っている。

 

みんなで真剣になって考え、何かを変えていかなければ、ヘタをしたらとんでもないところまで行き着いてしまう恐ろしい事態が待っているような気もする。

 

「そのままでもいい」「このままでもいい」という選択もあるだろう。

しかし、このままの状態ではダメだと思う勢力がいてもいいと僕は思うのだ。

 

少なくとも僕の場合は自分が少数派であったことを良かったと思っている。

脱サラ起業する人間なんてほとんどいない。

全体から見れば10%にも満たないような気がする。

でもだからといって、それが全くの間違いであったとも限らない。

 

僕の友人たちはほとんどが今でもサラリーマンをしているが、僕の目には決して幸せそうには見えない。

中には仕事のストレスのせいで体を壊したり、 うつ病になったりしている友人もいる。

 

彼らは圧倒的な多数派であった。

みんなと同じことを考えた。

みんなと同じ行動をした。

だけれども、それが結果的には苦しみを生み出すことになった・・・

 

少子化も、日本の借金も、深刻な問題だ。

このまま放っておいたら、日本という国そのものが消えてなくなってしまう恐れすらある。

 

主流から外れることを恐れないでほしい。

そして社会も主流から外れる人のことをそれほど悪く思わない風潮になればいい。

 

主流から外れた僕は、そんなふうに思っている。

 

 

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