僕が38歳のときに発見した『資本主義の世の中で幸せに暮らすための方法』とは?

2019年6月10日

『幸福とは心のあり方だ!』という意見がある。どんな状況に置かれても、心が豊かであればいい、それだけで幸福を感じられるという話がある。だから、たとえ貧乏であっても構わないと言う人もいる。

本当にそうだろうか? 本当に心のあり方しだいで人の幸・不幸は決まるのだろうか? 本当に心が豊かでさえあれば、幸せに暮らすことができるだろうか?

 

もちろん、それは『個人的見解』の領域の話になる。だから当の本人が「年収200万円でも十分幸せだ!」と言うのなら、こちらとしてはそれ以上は何も言えない。

朝から晩まで働きづめで、過労死寸前。それでもその人が「給料をもらえるだけでも十分幸せだ」と言うのなら、それはそれでも構わない。あるいは、それほどキツい状況に追い込まれていなくても、「そこそこ」「普通」でさえあればそれで十分満足と言うのなら、それはそれでまったく問題はない。

 

何と言っても日本は世界でいちばん豊かな国なのだ。インフラも整備されているし、医療だって発達している。サラリーマンをして真面目に働いてさえいれば、とりあえず普通に生活してゆくことはできる。

贅沢はできないかもしれないが、会社から支給される給料があれば、そのお金で家族と幸せに暮らすこともできるだろう。だから「これ以上のお金は必要ない!」と思うことは、ちっともおかしなことではない。

 

『幸福とは心のあり方だ!』というものさしで測れば、なるほど確かに幸福とお金の問題とのあいだには因果関係はないのかもしれない。  

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やっぱりお金がなければ幸せにはなれない

でも、本当にそれでいいのだろうか? そのものさしは果たして本当に正確なのだろうか? 幸せの尺度とは本当にそのものさしを基準に測ってもいいのだろうか?

僕も長いあいだサラリーマンをしていた。だから勤めてる会社から給料をもらうことの喜びも知っている。また一生懸命仕事をしたあとの充実感というものがいかに素晴らしいものであるかも知っている。仕事が終わって家路に着いたあとで飲む冷たいビールの味が格別のものであることも知っている。

 

だが、それは僕がサラリーマンという職業についているから味わえる幸せだったのではないだろうか。会社から給料をもらい、その給料で家族を養い、そこそこの生活を維持できていたからそう思えるだけのことだったのではないだろうか。最近、そのようなことをよく考える。

だけど・・・だけど、もし勤めている会社が倒産してしまったらどうなるだろう? もし会社からリストラされたらどうなるだろう? 会社の業績が悪くなり、給料の額が2割カット、3割カット・・・となっていったらどうなるだろう?

もしも仮にそういう状況になったとしても、果たして僕は本当に「心が豊かであればそれだけで満足だ」と言えるだろうか。恐らくそういう状況に追い込まれたら、とてもじゃないけどそんな呑気なことは言ってられないのではないだろうか???

 

年収600万円だったら、ハッピーだったかもしれない。しかし年収300万円になったらどうなるだろう? 200万円になったらどうなるだろう? 仮にそういった事態におちいったら、きっと以前のような幸福感は得られないような気がする。もっとはっきり言えば、途端に不幸になってしまうような気がする・・・

やっぱり年収200万円よりも、年収600万円の方がハッピーなのではないだろうか。時給800円バイトよりも、時給1,800円のバイトの方が嬉しいのではないだろうか。

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お金はなくても心が豊かであれば・・・という考えは正しいのか?

こういった話をすると、すぐに「金の亡者だ」とか「守銭奴だ」と言われてしまう・・・しかし実際問題の話、お金がなかったらこの社会では生きていけないのではないだろうか。しかも、そのお金は多ければ多いに越したことはないのではないだろうか。

僕の言ってることはおかしいことだろうか? 僕の認識は間違っているだろうか?

 

この世は資本主義社会なのである。気にいるか気に入らないかは別にして、この世はお金がすべての基本となる『資本主義社会』なのである。僕たちはそういう社会に生きている。

現実は厳しい。冷たいビールを飲むにもお金が必要なのである。まさか冷たいビールを手に入れるためにコンビニ強盗するわけにもいかない。やっぱり、キンキンに冷えたビールを購入するためにはお金が必要なのである。コンビニの店員に「私、心が豊かなので、ビールを1本もらってもいいですか?」と言ったところでダメだろう。

 

やっぱりお金って大事だ。『ゼニ』が必要なのだ! 「ビールを買うお金がなかったら、発泡酒でもいいではないか」と言う人もいるだろう。「発泡酒を買うお金がなかったら、ミネラル・ウォーターでもいい」と言う人もいるだろう。

なるほど。確かにその通りだ。ビールも、発泡酒も、ミネラル・ウォーターも、喉の渇きを癒す飲み物であることには変わりない。しかし、やっぱりそれらの商品を購入するのにもお金がいるのである。発泡酒も、ミネラル・ウォーターも買うお金がないという状態に追い込まれたら、それはやっぱり不幸なのではないだろうか。

 

年収1,000万円じゃなくてもいい。でも年収200万円でいいのだろうか? もしも年収がゼロになってしまったらどうなるだろうか? 家族を養っていけないくらいに貧乏になってしまったらどうなるだろうか? それでもなおかつ『お金がなくても、心が豊かであれば幸せだ・・・』と心の底から言えるだろうか?

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精神的にも金銭的にも満たされてはじめて人はハッピーになれる

しかしながら、「お金だけあればそれでいいのか?」と言うと、それも違うと思う! 仕事を一生懸命がんばり、家で奥さんに「今日もお疲れさまでした♪」といった具合にグラスに注がれるビールの味は格別だ。

だけど、嫌いな上司と一緒に飲む酒の味はやっぱりマズイ・・・たとえそれが高級ワインだろうが、高級ブランデーだろうが、やっぱり美味しいお酒ではないだろう。

 

つまり、お金だけあってもやっぱりハッピーではないのだ。お金だけあっても、ストレスでいっぱいの人生だったら、やっぱり人は不幸になってしまうのだ。

幸せとは精神的にも、金銭的にも満たされてはじめて実現することなのではないだろうか! 僕が言いたいのはそういうことだ。

 

人間は『より良く生きたい』と願う生きものである。ノルマをいっぱい抱えて、常にストレスでいっぱいなんだけど、『年収だけは高い』というのも困る。かと言って、心は豊かだけど貧乏というのも困るのである。

僕もサラリーマンをしていたから分かる。サラリーマンをして、会社から給料をもらうようになると、だんだんその会社に『恩義』というものを感じてしまうようになる。ついつい「会社がオレの人生を支えてくれているのだ」と錯覚してしまうようになる。

 

でも、この世は資本主義社会なのである。資本主義であるということは、基本的にはそこには『搾取のシステムで成り立っている社会構造』ということになる。

会社は社員よりも儲けているはずだ。そうじゃなかったら、社員に給料を払うことはできない。時給1,000円のバイト君がコンビニのオーナーよりもお金をもらうことはないのである。この資本主義のカラクリに気がつかないままでいると、資本家にいいように利用されて終わるだけの人生を歩むことになる。

 

会社に恩義を感じて真面目に働くのが悪いわけではない。だけど、一生懸命働ければ働くほどトクをするのは労働者の方ではないということを知っておこう!ということだ。喜ぶのは雇い主の方だ。

みなさんが朝から晩まで汗水垂らして働けば働くほど、みなさんを雇用している側はいい想いをする。資本主義とはそういうシステムの上に成り立っているのである。

 

僕はある日、そのことに気がついた。そのことに気づくことができたことはラッキーだった。それは僕の人生を根本的に変えるような大きな気づきだった。それ以来、僕は『その構造の外側』に行くことを人生のテーマにするようになった。

雇われる側ではなく、雇う側にまわるのである。損をする側ではなく、トクをする側にまわるのである。

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資本家に利用されるだけの人間にはなるな!

こういった視点で世の中を眺めてみると、なるほど資本主義の世の中というのは一部のお金持ちだけがいい想いをする仕組みになっていることに改めて気づかされた。税金、社会保障制度、医療、介護、etc・・・すべてがお金持ちに有利に働くようなシステムになっていることに気づかされた。

若い頃の僕は世の中がそんなふうになっているなんて知らなかった。そんなこと考えたこともなかった。知らないまま、ただ黙々と真面目に働き続けることしかできなかった。

会社のために・・・資本家のために・・・

 

言葉は悪いが、僕はご主人さまにこき使われてるだけの奴隷に過ぎなかった。文句ひとつ言わず、黙って働いてさえいれば、とりあえず飢え死にすることはなかった。ご主人さまはその労働の対価として僕に賃金を払ってくれた。

僕はその賃金の中から税金や社会保険料を払った。だけど、首根っこはご主人さまに押さえつけられたままだった。本当は自由を奪われ、会社に拘束され、資本家に利用されているだけに過ぎなかった。それなのに「ご主人さまのおかげで生きてゆくことができるのだ!」と思い込まされていた。

ご主人さまに恩義を感じ、忠誠を誓うように洗脳されていたのである。

 

誤解しないでいただきたい。僕は「真面目に働くのが悪い」と言ってるわけではないのだ。【僕の場合は】そういう生き方では幸福感は得られなかったというだけの話だ。

自分を納得させることで幸福感が得られるというのなら、それはそれでも構わない。でも僕の場合はそうではなかった。僕は「もっといい想いができるところへ行きたい!」と素直に思った。

 

僕はわがままなのだ。欲張りで、子どもっぽい性格なのだ。諦めが悪い男なのだ。普通の人が「だって、仕方ねぇじゃん!」と思うようなことでも、僕は「それでいい」とはならなかった。どうしても割り切ることができなかった。

「給料がもらえて、三度のメシが食えるだけでも御の字じゃないか」とは割り切れなかった。そのことが結果的に僕が本当の幸せを手に入れるきっかけになった。

 

僕はその後、試行錯誤・紆余曲折のすえに不動産投資というものと出会った。そして、38歳のときに脱サラ起業し、『その構造の外側』に行くことができた。その大英断のおかげで僕は精神的な意味でも、金銭的な意味でも幸福な状態を手に入れることができたのだ!

もしもあの時、その世の中の仕組みに気づいていなかったら、今頃どうなっていただろうか・・・? たぶん今でも暗い顔をして黙々と働き続けていただろう。「とりあえず会社から給料をもらえるし、それで家族と普通の暮らしができるからいいや!」と、自分を無理やり納得させ、ごまかしながら生きていたことだろう。

 

僕は闘う方の道を選んだ。ただ従順に生きるのではなく、自分の人生を自分で切り開く道を選んだ。幸福を勝ち取るためには行動しなければならない。何かが起きるのをただ待ってるだけじゃダメだ。

「会社がなんとかしてくれる」「政府が面倒をみてくれる」なんて幻想だ! 一生懸命、真面目に働くだけじゃ、幸せにはなれない時代に投入してしまったのである。

 

僕のブログの読者のみなさんにもぜひ、気づいてもらいたい。資本主義のカラクリに気づいてもらいたい。資本家に利用されるだけの人生から外へ飛び出していく人間になってもらいたい。

タイタニックが沈没したとき、助かったのは救命ボートに乗って外へ飛び出した人たちだ。「この豪華客船が沈没するはずがない!」と最後まで船内にとどまった人たちのほとんどは、タイタニックと共に冷たい大西洋の海の底へ沈んでしまったのである・・・

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