失敗を過度に恐れるな! まわりを気にせず自分の人生を生きたほうがいい理由

2020年12月9日

失敗するのが怖くて本当はやりたいことがあるのにそれが我慢して苦しんでいませんか?

いちばん怖いのは失敗することじゃないと僕は思っているよ。

いちばん怖いのは、「失敗すらできない」ことだと思う。

失敗するのが嫌だからといってやりたかったことを我慢していいの?

損をするのが怖いからといって夢を諦めてしまっていいの?

 

安定よりも、飛躍を! 

人生の残された時間を『失敗しないこと』だけを考えて過ごして本当にいいんだろうか。

せっかくこの世に生まれてきたっていうのに、、、、

失敗を過度に恐れて、何もせずに立ち止まるという人生だけは歩まないようにしよう!

 

はっきり言って僕は若い頃からいろいろなことで散々悩んできたクチだよ。

自慢するわけじゃないけど(自慢にもならないけど)。

だけど不動産投資をやりはじめ、脱サラ起業してからというものめっきり『深く思い悩む』ということがなくなったような気がするよ。

 

もちろん悩みがまったくゼロというわけではない。

でも以前のように深く思い悩むということは圧倒的に少なくなったんだ。

そういう僕の姿を見て、まわりからは(半ば嘲笑的なニュアンスが含まれてはいるが)「お前は自由でいいよなー!」とか、「悩んだことないんじゃない?」なんて言われたりするよ。

冗談じゃないぜ! 

はっきり言って僕は『僕ほどいろんなことで悩んできた男はいないんじゃないか』と自分で思ってるくらい。

それくらい自分ではいろんなことで悩んできたと思っているんだ。

 

確かに僕は今、毎日自由気ままに暮らしてるよ。

僕のクラスメートたちが汗水垂らして働いてる時間帯にスタバでのんびりブログを書いたりする余裕と自由な時間がある。

だけどここに来るまで決して順風満帆というわけではなかった、、、
僕が今いる場所に来ることができたのはそれは『僕が散々自分の悩みと向き合ってきたからだ』と自分としては思ってるよ。

 

むしろ僕は他の人よりも悩み多き人間だったと思う。

でもだからこそこのような場所にまで来ることができたと思ってるんだ。

悩みに関しては、僕はエキスパートというわけです!笑

 

ほとんどの悩みの根底にあるのは不満

散々悩んできた僕の半生を振りかえってみてはっきりわかることがある。

それはひと言で言えばこういうことです。
ほとんどの「悩み」の根底にあるのは、“不満”である。

意識的にせよ、無意識的にせよ、何かに悩んでいるほとんどの人が「なんだか満たされない」「なんだかうまくいってない」「なんだかムカつく」というような不満分子を胸に秘めてるんだ。

 

その不満分子のことを僕たちは「悩み」と呼んだりしているわけ。

人間関係のこと、仕事のこと、お金のこと、恋愛のこと、etc・・・

みなさんもいろんな悩み(不満)を抱えていると思う。

僕もいろんなことを抱えていたよ!

 

勉強が苦手

スポーツもパッとしない

営業成績もいつも平均並み

クラスの中の人気者にもなれない

上司から可愛がられていない

「これだけは誰にも負けない!」という強みを何ひとつ持っていない

etc・・・

 

僕が抱えてきたこれらの悩みのほとんどは『僕の不満』から発せられたことだった。

もしも心がすべて満たされていたら僕はきっとあんなに深く悩まなかったと思うよ。

 

自分の思い通りにならないから、人間は悩み、苦しみ、苛立ち、挙げ句の果てに自己嫌悪におちいったりしてしまうんだ。

つまり人は不満を感じれば感じるほど悩む生きものというわけなんだ。

 

それが証拠に人間関係がうまくいかなくても、営業成績が思うように上がらなくても、異性にモテなくても、悩まない人は全然、悩まないよね。

みなさんのまわりにいる「悩んでない人」のことを思い浮かべてみてほしい。

その人たちは決して何でもできるスーパー・マンみたいな人ではないはずだよ。

 

会社の中でも一目置かれ

営業成績は常にトップ

学歴も高く

おまけに女性にもモテモテ

年収は2,000万円をゆうに超え

タワマンの最上階に住み

フェラーリを乗りまわしている

 

そういう人では決してないでしょ? 

どちらかと言えばそういう悩んでない人(悩まない人)というのは、「どこにでもいるタイプの人」じゃない?

それなのにその人はちっとも悩んでないんだ。

少なくとも、みなさんよりは悩んでいないんだ。

 

その人たちが悩まないのはその人たちがスゴイ人なのではなく、そもそもその人たちは「不満を抱いてない人」なんだよね。

 

子供たちは余計なことを考えずただ目の前にあることだけに集中している

すぐ悩む人というのは、どんな状況に置かれても悩んでしまう。

本当はすごく恵まれて、ある人から見れば明らかにうらやましがられるような立場にいるのになぜか悩んでじゃうんだ、、、、

 

そのように客観的に考えてみると僕が悩んできたことも『本当は深刻に悩まなきゃいけないことではなかったんじゃないか』と思えてくるよ。

 

その渦中にいる最中は、「これはとんでもない問題だ」「大変なことが起きた」「オレはにっちもさっちもいかない状況に追い込まれている」と思ってしまっている。

でも冷静になって考えてみると僕は悩まなくてもいいことで悩んできたのかもしれないとも思えなくもないんだ

 

本当はそこまで悩む必要がない問題を「問題だ」「大変だ」「なんとかしなくてはならない」とひとりで深刻に考えすぎていたような気がする、、、

僕がなぜそう思うようになったのかというと、子供たちを見ていてふとそう思ったんだよ。

 

僕には二人の子どもがいる。

上は中学生、下は小学生だ。

二人にはまだ『自我』のようなものは芽生えていない。

とにかく毎日生きるのに精一杯で、自分と他人を比べたり、またその比較によって悩み苦しんだりしていないんだ。

 

そんな子どもから僕は実にたくさんのことを学ばさせてもらってるよ。

彼らは天真爛漫だ! 

彼らはシンプルに、そしてストレートに生きている。

余計なことは一切考えていない。

 

余計なことを考えていないから余計な悩みも抱えることもないんだ。

日々楽しく、おもしろく、エキサイティングに生きてる!

彼らが考えているのは目の前のことだけ。

そして、その目の前のことだけに全力を注ぎ込んでるんだ。

 

自我や自意識が芽生える前の子どもたちというのは本当に素晴らしい存在だよね。

 

彼らには人間関係がどうしたとか、お金がどうしたとか、仕事がどうしたとか、そういうこととは無縁の世界の中に生きてる。

つまりこういうこと。

外の世界がどうなってようとそんなことは知ったこっちゃない!

 

子どもたちはまだ『不満』の餌食になっていないんだ。

まだ『比較』の餌食にもなっていないし、『コンプレックス』の餌食にもなっていない。

だからあんなに明るくてハッピーに生きることができるんだ!

 

ところが僕たちはどうだろうか? 

いつも誰かの視線を気にして、いつも自分と他人を比べて生きてる。

そして、その比較の中でしか「自分の立ち位置」というものを確認することができなくなっている、、、

 

もっと子どもたちのように僕たちももっとシンプルに、もっと自由に、もっと天真爛漫に生きられないものだろうか。

 

子どもたちは「自分は愛されてるかどうか?」とか「評価されてるかどうか?」なんてことをちっとも気にしないよ。

なぜなら、そんなくだらないことを考えてる暇がないから。

目の前にある楽しいことに夢中で、余計なことを考えてる暇がないんだ。

そして、そんなこと考える必要すらもない! 

 

だってそんなことわざわざ考える必要もなく『愛されてる』という実感がたっぷりあるからね。

だから毎日が楽しい。

余計なことを考えてない。

まっすぐに、純粋無垢のまんま生きている。

 

僕が「となりの田中さん」と同じ生き方をするのをやめた日

愛されてない

満たされてない

評価されてない

嫌われてる

誤解されてる

etc・・・

 

そういった想いの根底にあるのは実は『〜してほしい』という切実な想いだよね。

 

愛してほしい

満たしてほしい

評価してほしい

嫌わないでほしい

誤解しないでほしい

etc・・・

 

そのような「Want」が人を苦しめるんだ。

求めるから、それが得られない。

求めるから、絶望する。

求めるから、卑屈になる。

求めるから、拗ねる。

求めるから、嫉妬する。

 

じゃあ、求めなければいい! 

押してダメなら、引いてみればいい。

 

つまり、こういうこと。

 

頑張らなきゃいい

評価されようと思わなきゃいい

勉強をしようとしなければいい

認めてもらおうと思わなきゃいい

愛されようと思わなきゃいい

etc・・・・

 

んなこと言ったってこの競争社会でそんなことできないだろという声が聞こえてきそうだ。

いいや、そんなことはない。

絶対にできる! 

少なくとも、僕はやった。

うちの子供たちもやってる。

 

僕はある日を境に頑張るのをやめてみたんだ。

評価されようとするのをやめてみたんだ。

勉強もやめた。

出世を目指すのもやめた。

年収を増やそうと努力するのもやめた。

 

人からどう思われようが知ったこっちゃない。

人から評価されなくてもちっとも構わない。

というか、そもそも人と同じことを考え、同じことをするのをやめたんだ。

 

『となりの田中さん』と同じように生きるのをやめたんだ。

『This is 日本人』というようなライフ・スタイルを送るのをやめたんだ。

 

何もかも放り投げたよ。

みんなが行こうとしている道とは違う道へ進もうと思った。

ちゃぶ台をひっくり返した。

その結果、何が起きたか?

それまで抱えていた『悩み』がキレイさっぱり消えたんだ!

 

僕は37歳のときに専業大家さんとして独立した。

不動産投資というものをスタートし、サラリーマンの世界からドロップアウトした。

2010年の12月には法人も設立した。

これこそ10年になります。

 

今サラッと書いたけれど、これがどれほど突拍子もないことであるかわかるかな。

ちょっとでも社会に出て働いた経験のある人ならきっとわかってもらえるだろう。

 

This is 日本人的ライフスタイルでは僕が選んだ選択肢は「あってはならないこと」に位置づけられてるんだ。

多くの人は「いい大学に入り、いい会社に入ったあとはその会社のために朝から晩まで働き続ける」という人生を送るよね。

そして、定年後は政府から年金をもらい、それまで貯金したお金や退職金を使って余生を送る。

 

これがいわゆる「This is 日本人ライフスタイル」ってやつなんだ。

おそらく日本人の90%ぐらいの人はこのライフスタイルに沿って生きてゆくはずだよ。

でも僕が選んだのはこれとはまるっきり違う道だったんだ。

 

僕はサラリーマンをしていればもらえたであろう給料を捨てた。

ボーナスを捨てた。

福利厚生を捨てた。

安定を捨て、不安定な世界に飛び込んだんだよね!

 

物事はどっちに行った方がよりハッピーかで選べ!

さらに僕が選んだのは(よりによって)『アパート経営(不動産投資)』というものだった。

不動産投資はご存知のとおり、銀行から多額の借金をしなければならないものだよね。

『借金』は日本人がこの世の中で何よりも嫌うもの! 

日本人は「借金」という言葉を耳にした途端、凍りつくところがあるよね。

そして、そこから先は思考停止になっちゃうんだ。

 

つまり僕はその日本人が最も忌み嫌うものに手を出してしまったというわけなんだ。

日本人の9割の人が「絶対にやってはいけない」「絶対にやらない」と思ってるものを選択してしまったというわけなんだ。

これがいかに突拍子もないことかわかってもらえるだろうか?

 

でも、ここで非常に不思議なことが起こるんだ。

そのとんでもない選択が、僕に『奇跡』をもたらすんだよ!

 

悩みが消えたのである。

幸せがやってきたのである。

自由を手にしたのである。

お金を手にしたのである。

将来の不安が解消されたのである。

自分に自信が持てるようになったのである。

誰かに嫉妬したり、誰かと比べて卑屈になったりしなくなったのである。

etc・・・

 

いったい僕の身に何が起こったのだろう? 

いったいそれまでの僕は何をやっていたのだろう? 

その謎を解くカギこそが『子どもたちの姿』なんだ。

彼らの天真爛漫さ。

彼らの自由さ。

彼らのシンプルさ。

彼らの目の前のことを思いっきり楽しもうという姿勢。

そして彼らの純粋さ。etc・・・

 

それこそが『カギ』だったんだよ! 

 

子どもたちは『素晴らしい教師』だと僕は思っている。

僕らが彼らに教えるのではない。

彼らが僕らに大切なことを教えてくれているんだ。

 

僕たちはもっとシンプルに生きていい。

もっとピュアに、もっと単純に、もっと自由に生きていい! 

 

僕は自分の心のおもむくままに動いたんだ。

不動産投資をすることも、会社を辞めることも、法人を設立することも、etc、、、、たくさんの人が反対したよ。

だけど僕はその反対を押し切って自分の心に正直に生きようと思った。

 

「人からどう思われるか?」とか「人から嫌われる」とかといったような他人軸で生きるのをやめてみたんだ。

単純に自分がどっちに行ったら楽しくて、ハッピーか? 

それを基準に選んでみたんだ。

『自分軸』で進むべき道を決めたのである。

 

その結果、僕は夢を実現することができた。

だから、みなさんにもぜひ子どものようなピュアな心で人生を歩んでいってほしいと僕は思っている。

 

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