古い価値観を押しつけられそうになった時、どのように対処したらいいのか?について
自分に厳しい人は人にも厳しいと相場は決まっている。
人一倍頑張り屋さんタイプの人は、人にも頑張ることを要求したりする。
人に迷惑をかけないように気を付けている人は、人に迷惑をかけるような人のことを極端に嫌う。
しかし、いろんなことを我慢して、自分一人だけで抱え込んで、悩み苦しみ、最後には追い詰められて、にっちもさっちもいかなくなってしまう・・・
そんなパターンにおちいる人は結構いる。
僕はかなり自由に生きてきた。
自分の心の声に素直に従い、あまりまわりの意見に振り回されないで、好き勝手な生き方をしてきた。
そのせいで多くの人を怒らせ、多くの人に心配をかけてきたと思っている。
特に家族にはいっぱい迷惑をかけた。
僕の両親は「クソ」がつくほど真面目な学校の先生だった。
曲がったことが大嫌いで、 自分にも厳しい代わりに子供にも厳しかった。
僕は子供の頃からそんな両親に厳しく育てられ、いろいろとうるさく言われてきたような気がする。
僕が38歳の時に脱サラ起業するというとんでもない行動をとったのも、そういった僕の生い立ちや家庭環境といったようなものが少なからず影響しているような気がする。
つまり、僕は両親から自由になりたかったんだと思う。
呪縛を解き、自分らしく生きたかったんだと思う。
早い話が、『ウザかった』のだ!
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目次
他人軸ではなく、自分軸で生きることの大切さについて
その僕の選択したことは、決して両親を喜ばせることではなかった。
実際、会社を辞めてビジネスの世界へ旅立とうとしたとき、両親とはかなり衝突した。
僕の両親は二人はどちらも公務員だった。
どちらも学校の先生だった。
ところが僕が選ぼうとしていた道は、彼らが所属している世界とは180度違う世界だった。
____そりゃ、反対するはずだ!
きっと彼らは困惑したんだと思う。
息子が自分たちとはまったく無縁の得体の知れない世界に行こうとしていることが、死ぬほど怖かったんだと思う。
だからあんなにも反対したんだと思う。
だけど今になって振り返ってみると、僕はあのとき、新しい世界へ思い切って飛び込んで本当に良かったと思っている。
金銭的な意味でも、精神的な意味でも、あの決断のおかげで僕は間違いなくそれまでよりも高いステージへ行くことができた。
確かにあのとき、僕は両親にいっぱい迷惑をかけた。
いっぱい心配させた。
おそらく僕の見ていないところで二人は涙を流していたんじゃないかと思う。
それでも僕はそれを振り切って前に進んだ。
その結果、現在の自由と幸せを手に入れることができた。
結果オーライだ!
今では両親とも和解し、あの当時の衝突は笑い話になっている。
僕はその経験から、他人軸ではなく、自分軸で生きることの大切さを学んだ。
人の顔色をうかがい、人の意向を汲み、人に合わせて生きるのではなく、あくまでも『自分』を優先した方が結果的に人生はうまくいくということを学んだ。
今にして思えば、僕の両親が僕に強いていたのは、
『人に迷惑をかけるな』
『人を困らせるな』
『人を嫌な気分にさせるな』
『人の期待に答えろ』
『自分のことは後回しにして、人のことを優先させろ』
etc・・・
_____といったことだった。
なぜ彼らは僕にそんなことを強いたのだろうか?
直接聞いたことはないが、いまになって考えてみるとなんとなくその理由がわかるような気がする。
それは、彼ら自身がずっとそうやって生きてきたからだ!
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「人に迷惑をかけてはいけない」と言う人がいちばん迷惑
おそらく父も母も両親に厳しく育てられたのだろう。
自分のお父さんやお母さんから、自分軸ではなく、他人軸で生きるように教育をされてきたのではないだろうか。
だから自分の子供にも自分が両親から教えられてきたものと同じことを教えようとし、実践するように要求した。
それが先祖代々受け継がれてきたことなのだ。
でもそれは僕にとってはちっともハッピーなことではなかった。
彼らの心はそれで満足するかもしれないけれど、僕の心はまったく満足できなかった。
だから僕はそれを突っぱねた!
その僕の行為はおそらく彼らを深く傷つけることになったのだと思う。
真面目で保守的で、This is 日本的価値観をそのまま体現したようなうちの両親。
彼らにとって僕が選んだ道=脱サラして起業するということは、『あってはならないこと』に分類されるものだった。
きっとものすごく心配をかけたし、ものすごく迷惑もかけたと思う。
世間体を誰よりも気にするうちの両親は、自分の息子が多くの人が歩む道とは違った道を選択したことをきっと誰にも言わなかったはずだ。
おそらく近所の人や親戚などには僕が会社を辞めたことも、自分で事業をやり始めたこともひた隠しにしていたことだろう。
それでも僕は前に進んだ。
僕は彼らの操り人形なんかじゃないのだ。
僕は彼らの所有物ではなく、『僕』という一個の独立した人間なのだ。
僕は自分の人生を自由に決めて、自分の好きな道を選択してもいいはずなのだ!
僕は最近こんなふうに思うようになった。
「人に迷惑をかけてはいけない」という人がいちばん迷惑な人なんじゃないだろうかと・・・
『勤勉であること』は、日本人にとって最も重要なことなのかもしれない。
その勤勉さが日本をここまでの経済大国に押し上げたのは間違いない。
しかしながら、世の中は大きく変わったのだ。
勤勉で真面目でありさえすればすべてがうまくいくという幸福な時代はもう終わってしまったのだ。
そういったThis is 日本的価値観は、今はもうすっかり古い OS になってしまったのだ。
古いOSはバージョン・アップをしなければならない!
いつまでもそれにしがみついていたら、来るべき新しい時代に対応してゆくことはできない。
それなのに 時代遅れの価値観を押し付け、「こうすべきだ!」「こうしなければいけない!」と主張するのはかなり乱暴なことなのではないだろうか・・・
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僕のThis is 日本的価値観との闘い
僕は毎日こうした This is 日本的価値観と闘っている。
そういった古い価値観はなかなか手強い相手だ。
その古い OS を使っているユーザーは僕らが想像する以上に大勢いるのだ。
もうほとんどそれは『信仰』の領域にまで達している。
だが、どんなにその人が信仰心が厚く、その教えがどんなに正しいものだったとしても、「この神を信じよ!」「この宗教を信じよ!」と強要され、押しつけられても迷惑だ。
それがたとえ『和を以て貴しとなす』という、一見すると穏やかで、秩序立ったものだったとしても・・・
もしかしたら僕の方が間違っているのかもしれない。
迷惑をかけず、わがままを言わず、自由を求めず、我慢をし続ける生き方のほうが正しいのかもしれない。
それでも僕はそういった価値観とは反対の方向へ進みたいと思っている。
自分の好きなことだけをやり、嫌なことはやりたくない。
人生は短いのだ。
僕らに残された時間というのは意外に限られているのだ。
脱サラ起業する前まで、僕はずっと自分を押さえ込んで生きてきた。
でもあるとき、そのやり方では幸せになれないということに気がついた。
_____38歳の時だ。
勤勉さや真面目さだけでは人は幸せにはなれない。
どんなに頑張っても、いや、頑張れば頑張るほど、次なる課題が出現して、またさらに頑張らなければならない・・・
そんな永遠のループに僕は知らず知らずのうちにハマってしまっていたのだ。
その結果、僕は自律神経失調症という大変めんどくさいものまで抱え込むことになってしまった。
その段階まで追い詰められて、僕はようやく気づくことができたのだ。
僕を苦しめていたのは、 This is 日本的価値観そのものなのだ!
_____と。
だから僕はそれと闘う道を選んだ。
だから僕は38歳のときにすべて捨てた。
安定も
肩書きも
キャリアも
給料やボーナスも
福利厚生も
etc・・・
_____それがどれほど恐ろしいことであるか、サラリーマンをやってらっしゃるみなさんならわかってもらえるはずだ。
しかしながら、この僕の人生最大の大博打は、僕に人生最大の大転換をもたらしてくれた。
脱サラ起業してからの僕の人生は、文字どおり自由と幸せに満ちあふれたものとなった。
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日本人の多くが正しいと思ってることは本当に正しいのか問題
僕は不動産投資というものをやって生計を立てている。
おかげさまでその賃貸事業の方も順調に推移している。
僕は金銭的にも精神的にも満たされるようになり、生まれて初めて『幸せ』というものと『自由』というものを実感することができるようになった。
そのとき僕が思ったのは、僕の両親をはじめとする多くの日本人が絶対に正しいと思っていることが、「実はそれほどを正しいものではない」ということだった。
本当は我慢なんかしなくてもよかったのだ。
好きなことだけやっていても、十分幸せに生きることは可能なのだ。
それなのに、 This is 日本的価値観はそれを良しとしてこなかった。
でももうそういう価値観に終わりを告げるべきときが来たのだ。
経済的な意味でも、文化的な意味でも、精神的な意味でも、もう持たなくなってきている・・・
ますますグローバル化する世界において、そういった古い価値観はもうすっかり機能しなくなってしまっているのだ!
僕が選んだ不動産賃貸業というビジネスは、基本的には不労所得によって成り立っている。
物件にまつわる細々とした業務は、すべて管理会社がやってくれる。
だから僕は特に何もやることがない。
極端な言い方をすれば、朝からゆっくりコーヒーを飲み、ソファに寝っ転がりながら本を読んでいてもお金が入ってくる。
そういう方法があるということを以前の僕は全く知らなかった。
そのような形で収入を得て、自由気ままに生きる生き方は、 This is 日本的価値観から見れば『許されないこと』『あってはならないこと』なのかもしれない。
でも、今の僕には満員電車も、営業ノルマも、人間の醜悪な人間関係も、リストラの恐怖も、勤めている会社の倒産の恐怖も、くだらない会議も、休日出勤も、サービス残業もない。
確かに安定や肩書きは失ったかもしれないけれど、その代わり手に入れることができたものもいっぱいある。
明らかに僕は以前よりも幸せになった。
世間的に見れば、風変わりなアウトサイダーかもしれないけれど、僕は自分が選択したことが「間違っていない」と思っている。
今の方がはるかに楽しい
今の方がはるかに自由
今の方がはるかに満ち足りている
今の方がはるかにストレスフリー
etc・・・
もう少しこの国でも多様な生き方が認められるようになればいいなと思っている!
グローバル主義を唱える人というのはホリエモンとか竹中平蔵といった人たち。
弱肉強食と自己責任
規制を撤廃して国の垣根を超えて利益を追求していいという考え方
トランプはその流れに待ったをかけた。
だから当選した
労働者を見方につけた
アベさんは逆のことをしているのに選挙で勝つ…
なぜ?— サカモトハルキ (@sakamoto2haruki) October 20, 2019
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