『正しく』生きるより、『楽しく』生きよう!

2019年4月3日

昨日の記事で僕は典型的な「真面目に生きることだけがすべて」という義理のご両親や弟さんと話が噛み合わない・・・というようなことを書いた。「ここまで違うか?」というくらい価値観がまるっきり僕と違うのだ。

僕は彼らと話をしているといつも「生きるってなんだろうな?」という哲学的な疑問を抱く。彼らから見れば、僕みたいに投資をやって生活をしている人間は宇宙人か何かに見えるのかもしれない。「危険人物」のように見えるのかもしれない。

 

でも、僕は別に何か悪いことをやってるわけではない。脱サラして、不動産投資をやって、不労所得を得て自由に生きてるだけだ。ただ、それだけだ。

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僕は「ちゃんとしなきゃいけない病」にかかっていた

時間は誰にも平等に訪れる。サラリーマンをやって生活している人も、投資をやって生活をしている人も、時間は平等だ。その同じ『24時間365日』を生きるのに必要な生活費をどのような方法で稼ぐのか?ということは、それほど重要なことなのではないのではないだろうか。

 

学校の先生も、You Tuberも、生活保護をもらって暮らしている人も僕はみんな同じだと思っている。朝から晩まで働いている人間だけが「ちゃんとした生き方をしている」という思い込みは危険だと僕は思う。

そもそも「ちゃんと生きる」とはどういうことだろうか? 名の通った会社の社員であることがちゃんとしていることになるのだろうか? 難しい試験をパスして国家公務員になることがちゃんとしていることになるのだろうか?

 

投資でお金を稼ぎ、自由気ままに生きている人はちゃんとしてないのだろうか? 生活保護をもらって暮らしている人はちゃんとしてないのだろうか? いったい「ちゃんとした生き方」というのは何なのだろうか?

 

社会人になりたての頃、僕もこの「ちゃんとする病」にかかっていた。会社のために朝から晩まで働き、給料をもらい、家族を養う生き方こそが、正しく、いいことで、ちゃんとしてる___と思い込んでいた。だから、昼間っから楽しそうに遊び呆けている大人を見るたびに「あの人、いったい何やってるんだろうな?」という疑問と同時に、嫌悪感をおぼえた。

 

オレはちゃんと生きてるんだ

オレはまともに生きてるんだ

オレは真面目だ

オレは頑張ってる

オレは正しい

そう自分に言い聞かせていた。でも、それは間違いだった。

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僕は枠からはみ出さないことばかりを考えた生き方をしていた

本当は自分も昼間っから遊び呆けた生き方がしたかったのだ! 自由に、のんびり、リラックスして、余裕を持った暮らしがしたかったのだ! しかし、それはあまりにも非現実的なことだった。夢物語だった・・・

だいたいにして、どうやって稼いだらいい? 自由気ままに暮らして、どうやって収入を得る? あの頃の僕はまだ「この世には不労所得というものがある」ということを知らなかった。だから自由気ままに生きてる大人たちが宇宙人か何かに見えた。

その人たちは自分の想像力の外側にいる人たちだった。だから、「どうせ悪いことでもやってるんだろう」といった具合に、無理やり自分を納得させていた。本当は死ぬほど羨ましかったくせに。本当は「自分もああいう風に生きたい」と思っていたくせに・・・

「あれをやったらダメ」

「これをやったらダメ」

「ここから先は侵してはならない領域だ」

「ここから先は行ってはならない」

「それは危険だからダメだ」

「そんなこと無理に決まってる」

etc、、、、

人はいろんな「決まりごと」を自分に課す。そうやって自分をある特定の『枠』にはめ、そこから飛び出さないように常に注意を払って生きる。規律を守って、タブーを犯さず、黙って従順に、自分を殺して、etc・・・

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ホームランを打つためにはバッターボックスに立たなくてはいけない

でも、そうやって狭い箱の中に自分を押し込めて生きていると、だんだん窒息しそうになってくる。失敗したり、笑われたり、怒られたり、貶されたり、嫌われたり、etc・・・いつもいつもそればっかり気にする人間になる。

はっきり言って、それは「つまらない人間」だ。僕は投資をやって生活している人間だからよくわかるのだ。投資で成功するために何が必要か? 「まず、やる」ことだ。宝くじも買わなければ当たらないのと同じように、投資もやらなければうまくいかないのだ。

 

「何を当たり前のことを言っているのだ!」とお叱りを受けるかもしれない。しかし、この『やる』『やらない』のあいだには僕らが想像しているよりもはるかな大きな溝があるのだ。

失敗する、損をする、貯金がなくなる、借金をする、自己破産する、etc、、、、そんなことばかり言って、恐れてばかりいて結局、投資に手を出せない人がいる。

 

僕のまわりにもたくさんいる。でもバッターボックスにも立たないでどうやってホームランを打つことができるだろうか? いつまでも観客席にいて選手の悪口ばかり言ってる人生もありかもしれない。でも、僕はそういう人生はおくりたくなかった。

せっかくこの世に生を受けて、人生たったの80年くらいしかないのならば、思う存分、自分の好きなことをやって生きたい!と思った。

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いつまでも観客席にいるだけでいいのか?

たとえ三振して監督に怒られたとしても、「もしかしたら、ホームランを打てるかもしれない」という可能性がある人生の方がいい。人は恐怖に縛られると、身動きが取れなくなる。失敗する、笑われる、怒られる、貶される、嫌われる、etc・・・そんなことばかり考えていると、結局最後は「何もしないでおこう…」となる。

 

何もしなければ、少なくとも傷つくことはない。痛い目に遭うこともない。挫折することもない。安全地帯から一歩も動かないで、そこでただじっとしていればいい。そうしていれば、時間は自然と過ぎ去ってゆく。

無理して何かにチャレンジする必要はない。夢なんか追いかける必要はない。いや、夢なんかない方がいい! でも、本当にそれでいいのだろうか?

 

時間は誰にも平等におとずれる。24時間365日。本当にやりたいこともやらず、「観客席」にいるだけの人生でいいのだろうか? 無難な人生、冒険しない人生、真面目な人生、まともな人生、トラブルのない人生、etc・・・規律を守り、曲がったことをせず、正しいことだけをやり、人に迷惑をかけず、失敗をせず、真面目に、しっかり、ちゃんと、大人しく・・・

生・き・る。。。。

 

それが果たして本当に「いい人生」なのだろうか? 僕はそんなのは嫌だ! それを試したこともあるけど、ちっともハッピーじゃなかった。確かに痛い目には遭わなかったけれど、その代わり、いつも我慢・我慢・我慢・・・の毎日だった。

その結果、『自律神経失調症』になっちゃった・・・毎日、激しいめまいに襲われた。仕事にも支障が出た。その経験から、僕はとても大切なことを学んだような気がする。人生は『正しく』生きるんじゃない。『楽しく』生きるのだ!

 

人からどう思われようが知ったこっちゃない。人から「正しくない」と指摘されたとしても、知ったこっちゃない。たった80年くらいしかない短い人生を楽しく、笑って、自由に生きるのだ!

 

ちゃんとなんかしてなくていい

「不真面目だ」と人から思われてもいい

時には、枠をはみ出したっていい!

「非常識だ」「無責任だ」と面と向かって怒られてもいい

とにかく楽しく生きるのだ。笑って生きられるように自分の人生をプロデュースするのだ。

 

とても大切なことなので、もう一度、繰り返す。人生は『正しく』生きるのではなく、『楽しく』生きるのだ。タモリが座右の銘にして、ビートたけしが「この歌で人生を変えられた」と語った名曲がある。それはクレイジー・キャッツの『無責任一代男』という歌だ。

その歌の最後は、こんなフレーズで終わる・・・

「こつこつやる奴ぁ、ご苦労さん!」

 

無責任一代男
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