【カラフルな人生を生きよう!】 自分が変わることを恐れない人から順に幸せになってゆく法則
「人生がつまんない」とか「世の中おもしろくない」と言ってる人がいるけど、その『つまんない』や『おもしろくない』の中に自分も含まれてる。
自分と世界を分けてはいけない。
大切なことは「自分がその世界の中でどう動くか?」ということ。考え方しだいで人生はエキサイティングなものになるよ。
— サカモトハルキ (@sakamoto2haruki) October 19, 2019
今、NHKの大河ドラマでやってる『西郷どん』を毎週楽しみにしている。
幕末という時代はとてもおもしろい。
歴史的におもしろいというだけでなく、人間の心の揺れ動きや、移り変わりの部分も非常におもしろい。
ご存知のとおり、幕末のヒーロー・坂本龍馬は最初は尊皇攘夷派だった。
それが勝海舟その他のさまざまな人から影響を受けて、最終的には開国派に転向した。
西郷隆盛も島流しになったり、いろいろな経験を積んで何度も考え方を変えている。
長州の桂小五郎にいたっては名前や職業もコロコロと変えた。
そして最終的にはあれほどいがみ合っていた薩摩の西郷と手を組み、薩長同盟を成し遂げた。
『変化』はたまらなくエキサイティングで、おもしろく、そしてとても重要なことだ。
変わることというのは希望なのだ!
逆に変わることなくずっと同じまま・・・というものはおもしろくも何ともない。
そして、そこには希望もない!
もしもあの時、坂本龍馬がずっと尊王攘夷派だったら、どうなっていただろうか。
もしもあのとき西郷隆盛や桂小五郎が考え方を変えずに、薩摩と長州が本格的な戦争に突入していたら、どうなっていただろうか。
おそらく日本は外国に攻め込まれ、植民地にされていたことだろう。
・・・ということはつまり我々が今、手にしているこの豊かさもなかったということだ。
僕たちは幕末の志士たちの柔軟性に感謝しなくてはならない!
歴史が動いたのは、幕末の志士たちが特別能力が高かったからではない。
強かったからでもない。
幕末の志士たちが『柔軟』だったから歴史が動いたのだ。
彼らが自分の考えに固執せず、その考えに囚われることなく、変化(メタモルフォーゼ)することを恐れなかったから歴史が動いたのである!
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変わるということは希望
僕が「変わることというのは希望だ!」というのはそういう意味だ。
「それは幕末の話だろう。現代を生きるオレちには何の関係もない話だ!」と、みなさんは思われるかもしれない。
でも、それは違う。
この自分を変えることができる・できない問題は、現在を生きる僕たちにとっても非常に重要な問題だ。
もしもこの問題を自分とは関係のないものだと思っているのならば、おそらくその人の人生はこれから先もずっと変わることはないだろう。
昨日と今日と明日はずっと同じことの繰り返し。
今のままずっと変わることなく歳を取っていき、気づいた頃には死の床・・・ということになっていることだろう。
でも「自分は変わることができるかもしれない」と思えた人は、昨日と今日と明日がずっと同じという無限ループから抜け出すことができるかもしれない。
人生を変えることができるかもしれない
夢を実現することができるかもしれない
幸せを手に入れることができるかもしれない
自由を獲得することができるかもしれない
etc・・・
_____自分が変わるというのはそれくらい大きなことなのだ。
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自分を変えることができた人から順にハッピーになる
僕は映画が大好きだ。
これまでに何度も映画によって人生を変えられた経験がある。
その映画を観る前と観た後で、明らかに違う人間になっているという感覚・・・
『いまを生きる』
『ロッキー』
『セッション』
『ファイト・クラブ』
etc・・・
僕の人生に影響を与えた映画を挙げ出すとキリがない。
僕はその映画たちから明らかに何かを学んだ。
何を学んだのか?について、いちいち具体的に解説するのは野暮ってもんだ。
でもその映画と出会ったおかげで僕は自分を変えることができた。
その映画たちの力を借りなかったら、自分の力だけで自分を変えることはできなかっただろう。
僕がその映画から学んだこと。
それはいわゆる『知識』と呼ばれているものとは全然違う。
それは魂を揺さぶられるような体験だった。
僕はその映画たちを観たおかげで、明らかにそれまでとは違う視点で世界を見ることができるようになった。
それは僕が『変わった』ということに他ならない!
これまでとは違う、もう一人の自分に移行することができたということだ。
これを『メタモルフォーゼ』と言わずして何と言うだろうか!
このようなことは僕たちの人生の中にも(間違いなくみなさんの人生の中にも)、たくさん起こり得ることだ。
そういうものとの出会いは、決して『単なる知識の習得』なんかではないはずだ!
ノウハウでもない。
How Toでもない。
誰かに(あるいは何かに)影響を受けて、CHANGE(チェンジ)したのだ!
こうした変化は人生でいちばん大切なことだと僕は思っている。
自分自身が根本から変わるような体験を人生の中で何度できるか?
______このことによってその人の人生が決まる!と言っても過言ではないと僕は思っている。
自分の方は何ひとつ変わらず、ただ知識だけ増やしても、それは何にもならないのではないだろうか。
それでは根本的には人生は変わらないのではないだろうか。
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知識をいくら増やしても自分が変わらなかったら意味がない
大事なことは「自分自身が変わること」だ。
昨日までの自分と違うまったく新しい自分になることだ。
その変化を恐れてはいけない!
昨日までの自分を拒否したり、否定されたりすることはすごく怖いことだと思う。
でもいちばん恐ろしいのは、昨日までの自分と何も変わっていないということなのではないだろか。
僕はそっちの方が怖い。
だってそれは『一歩も進歩してない。。。』ということだから。
「変わらないは良いことだ!」とよく言われる。
でも、それはもしかしたら「変わる」ことよりも恐ろしいことなのかもしれない。
僕はアパートの大家さんとして生計を立てているが、脱サラ起業するときは大変だった・・・
いちばん大変だったのは実はお金のことではない。
お金の問題はお金で解決できる。
いちばん大変だったのは、まわりの『常識』とか『価値観』とか『世間体』といったものたちだった。
そっちの方がお金の問題よりもはるかに厄介だった・・・
僕は脱サラ起業してみて、日本人がこんなにいろんなものに縛られていたのか・・・ということを知って、少なからずショックを受けた。
彼らから見れば、僕は奇人・変人の部類に入るらしい。
僕の選択したことは、「絶対にあってはならないこと」であり、「絶対にやってはいけないこと」であるらしい。
そのとんでもない選択をしてしまった僕に対する世間の風は、僕が想像していたよりもはるかに冷たかった・・・
彼らは変わらないことが良いことだと心の底から信じていた。
そして、このまま変わらずに一生を終えることが幸せな生き方なのだと信じて疑わなかった。
彼らにとっての進歩とは、自分自身が変わることではなかった。
彼らにとっての進歩とは、自分自身は何ひとつ変わることなく、そこに知識やノウハウが上塗りされてゆくことだった。
自分なんて変わらなくていいのだ。
昨日と今日と明日が同じ人生のままでいいのだ。
彼らは知識をたくさん背負いこみ、武装することが世の中の変化に対抗するもっとも賢い方法だという考えに取り憑かれていた。
だから彼らは熱心に勉強した。
本を読み、雑誌を読み、インターネットを開き、足しげくセミナーに通い、勉強に勉強を重ねた。
勉強しさえすれば何とかなるはずだ
勉強さえしてれば何とかなるはずだ
でも知識やノウハウをいくら増やしても、根本的には何も変わらなかった。
人生の中で逆転満塁ホームランを打つことはできなかった。
相変わらず彼らは満員電車に揺られ、25日の給料日を楽しみにするだけの日々を送った。
住宅ローンは35年にわたって払い続け、税金や社会保険料の負担増にも黙って耐えるより他に方法はなかった。
常にリストラに怯えた。
常に勤めている会社の倒産に怯えた。
etc・・
彼らは自分自身を変えることを恐れた。
昨日の自分と違う自分になることを恐れた。
彼らがいちばん安心することは昨日と同じ1日がやってくることだった。
昨日と同じ1日を送ることだった。
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違う人間になることを恐れるな!
僕は38歳のときにそのような勤め人の世界からドロップアウトした。
それ以来、僕は自由と幸せでいっぱいの日々を送っている。
なぜ僕は人生を好転させることができたのか?
なぜ僕は逆転サヨナラ満塁ホームランを打つことができたのか?
それは自分自身を変えることができたからだ!
さなぎから蝶へとメタモルフォーゼすることができたからだ!
もしも今、ここにいる僕が以前のままの僕だったら、このストレスフリーな生活を手に入れることはできなかった。
僕は勉強もできず、何の才能にも恵まれず、金持ちの家に生まれたわけでもなかった。
人よりも秀でていることは何ひとつなかった。
そんな僕が逆転劇を演じることができたのは、僕が優秀だったからではない。
僕が強かったからではない。
自分を変えることができたからだ!
それは知識の量やノウハウの数が増えることとは根本的に違うことなのだ。
この違いをわかってもらえるだろうか・・・・???
例えば、『ロッキー』という映画がある。
あの映画によって人生を変えられた人間は世界じゅうにいる。
僕だけじゃない。
僕もあの映画から大きな影響を受けた。
そして、たくさんの勇気をもらった。
「こうしちゃいられない!」と思った。
「自分自身に落とし前をつけなければいけない!」と思った。
「オレは人生の落伍者じゃないと自分自身に証明しなければいけない!」と思った。
あの映画を観終わった後、世界が違って見えた。
それは明らかに僕が『違う人間になった!』ということなのだ。
世界の方は何も変わっていない。
相変わらず太陽は東から昇り、西に沈んだ。
信号機も赤は「止まれ」で、青は「進め」だ。
変わったのは世界の方じゃない。
変わったのは僕の方だ!
僕はこのような変化こそが人生に彩りを与えると思っている。
そして、それは必ず幸福につながってゆくのだ。
幸福な人があんなにカラフルに見えるのはそういった理由からなのだ!
みなさんのまわりにいるつまらなそうな顔をした人たちを客観的に見てみればよくわかる。
彼らは決してカラフルな人生を生きていないはずだ。
人生をモノトーンにしてはいけない!
彼らは自分を変えようなんてこれっぽっちも思っていない。
僕はそういう人生を生きることほどつまらないことはないと思っている。
つまらない大人にだけはなってはいけない!
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