心屋仁之助の名言集

2019年9月26日

心屋仁之助の名言集

 

心屋 仁之助(こころや じんのすけ、1964年11月 – )は、日本の心理カウンセラー。兵庫県加西市出身。

 

心屋仁之助

外から持ってきた自信は、心にいかつい甲冑を身につけるようなもの。

一見すると立派になったようでも、予期せぬ敵が攻めてきたり、身につけてから長い時間が経って古くなったりすると、必ず無理がたたってその甲冑を脱がなくては耐えられなくなります。

 

心屋仁之助

「自分はダメな人間」だと思っていたら、それにお似合いのダメな場所に住みます。

ダメな自分には、ダメな場所・もの・人がふさわしいと無意識のうちに思っているから、当たり前のようにダメな環境に身を置くようになるのです。

 

心屋仁之助

役に立たなくても、何もしなくても、喜ばせなくても、あなたには価値があるのです。

それを信じられないから、頑張り続けることをやめられず、それなのに結果が出ない、認められない、愛されない・・・

実はこれまで「頑張ること」で、自分と向き合うことから逃げてきたからかもしれません。

 

心屋仁之助

ひまわりの種をまいたから、ひまわりが咲いた。

それを「そうなんだ」と、ただ受け止める。

それだけでいいのです。

つまり、悩みを前にして、「何もしないでおこう」ということも大切な心の持ち方なのです。

そして、「自分はどうしてチューリップじゃなくて、ひまわりの種をまいていたんだろう」というところに答えがあるのです。

 

心屋仁之助

こちらが「与えよう」「何かをしよう」とすればするほど、向こうは逃げていく。

だから、何もしないほうがよかったようです。

「何もしない」と、勝手に何かがはじまるのです。

 

心屋仁之助

「手を抜く」って、今の日本じゃ悪いことみたいに考えられています。

ですが、言い換えると、

「心と体をゆるめて、リラックスする」

「よく見せよう、こうするべき、という考えから自由になる」ということです。

『しがらみ』『監視』『脅迫』から自由になると、緊張が解けて本来のパフォーマンスがでてきます。

 

心屋仁之助

なかなか見守れずに手を出したくなるのは、

「自分もそういう失敗をしてきた」

「自分もこういうイヤな思いをしてきた」

「だからきっと目の前のあの子も、そういうイヤな思いをするはずなんだ」

と勝手に決めているからです。

 

心屋仁之助

「あの子」「あの人」が失敗することで「自分」に迷惑がかかることを人はひそかに恐れていたりもするのです。

だから、そうならないようについ、前もって口を出してしまう。

 

心屋仁之助

正しいことが良いことだとは限らない。

 

心屋仁之助

そんな夢みたいなこと言ってないで もっとちゃんとしなさい。 
と言ってた人は 幸せだったでしょうか。
もっと夢みたいなこと一杯言って ちゃんと自分らしく生きよう。

 

心屋仁之助

僕は「努力は報われない」とよく言ってますが、もう少し突き詰めると「マイナスの前提(セルフイメージなど)を持ったままの努力は、報われないどころか、努力によってマイナスを拡大する」ということ。

 

心屋仁之助 

前提を変えるだけで、100年分の努力と同等の成果がすぐに出る。

そして、好きで楽しいことへの努力は僕もガンガンやるわけです。 

 

心屋仁之助 

ただ努力が好きで、報われないのが好きで、困難を乗り越えるのが好きなひと(山ほどいます)には大きなお世話の話ですが、もうそこに飽き飽きした人は努力に力と時間を注ぐよりも自分の持ってる前提を知り、その前提を変えてみることをお勧めします。

 

心屋仁之助  

もうその努力は終わりにしよう。

世界で活躍している日本人たちが「マイナスのセルフイメージからの努力」をしてきたとはどうしても思えないし。

 

心屋仁之助 

どんなに頑張っても報われる保証はありません。

頑張らなければ好きなことができないと思っている限りあなたは報われない。

なぜならあなたは自分が頑張らなければ認められないと思っているから。

 

心屋仁之助 

頑張らない私には価値がないと思っているから。

だから死ぬほど頑張るんです。

私の価値を認めてもらいたくて。

でもどんなに頑張ってもあなたの価値は認められません。

頑張って報われるのならば全ての頑張っている人も報われるはずです。

 

心屋仁之助 

実はあなたがあなたの価値を認めていないのに人があなたの価値を認めるわけがないのです。

自分でさえ価値を認めていない人間のことを他人がすごいですねと認めてくれるでしょうか。

私が作ったこの器は全然価値がないんです。でもあなたはすごいと思って大事にしてくださいねと言っているようなものです。

 

心屋仁之助 

大きく見せようと頑張っている人と自然体で楽しんでいる人。

どっちに人は集まるでしょう。

僕だったら楽しんでいる人のところに行きます。

だってそちらの方が楽しそうだし、いいことが起きそうだから。

気づいたら僕は頑張らなくても好きなことだけして生きていけるようになっていました。

 

心屋仁之助 

世の中には下りのエスカレーターに乗って上に上がろうとする人がたくさんいます。

またエスカレーターには下りしかないと思っていて一生懸命上がろうとするのです。

それは素晴らしい事なんだと思っているのです。

かつ結構楽しいのです。

 

心屋仁之助 

下りのエスカレーターでも一生懸命のぼれば上に上がれます。

でも登っている最中にちょっとでも足を止めたらずっと下がっていってしまいます。

あかん、休んだら下がってしまう

また必死に登り続ける。

ずっと休まずに。

頑張っている人はきっとそんな感じなんだろうなと思います。

でも人生というのは基本上りのエスカレーターだと僕は思っています。

そういう流れが常に僕らの周りに渦を巻いていて、その流れに身をまかせてじっとしていればちゃんと上まで連れて行ってくる。

それなのになぜかあかんと思って楽はいかんと思ってわざわざ下りのエスカレーターに乗ろうとする人がいるのです。

頑張って苦労して一生懸命が回って下りのエスカレーターを駆け上がれないと自分の好きなことができない。

そう思い込んでいるのです。

 

心屋仁之助 

自由なひとは自分が自由にすることを許す。

自由なひとは他人の自由も許す。

許す、というのは「他人のことを、いいよいいよと許す」ことだけではないのだ。

ガマンしたり抑えたりするのではなく、そもそもそうする必要がなくなってきたりするだけ。

それだけなのに、それだけの話なのに、「綺麗でいようとする、汚いひと」は他人や自分が汚い言葉を吐くことも許さない。

だから、汚いものが自分の中に溜まってきて、嫌味や愚痴や他人を責める言葉を自分でも気づかず吐くのです。 

 

心屋仁之助 

50歳を過ぎるまで、いろんなことをガマンして、自分のことは後回しにして、家族のため、仕事のため、一生懸命やってきたのではないでしょうか。

でもそろそろ違うやり方で生きてみてもいいのかもしれません。

じつは50歳からもっと幸せで、もっと自分らしく、ラクに生きていくコツがあるんです。

それは何かというと、迷惑ババァ、クソジジイになってわがままに生きること、です。

 

心屋仁之助 

迷惑をかけないようにがんばるということは、自分らしく生きるのを放棄するということです。

自分らしく生きるのを放棄した人が、幸せな人生を送るのはちょっとむずかしい。

そんな気がします。

もう自分ではなくなっているからです。

他人軸の人生です。

 

心屋仁之助 

わがままに生きるというのは、「さあ、迷惑かけて嫌われようぜ」ではなく、「自分の好きなこと」だけして、「やりたくないこと」はやらないと決めませんか?ということ。

いままで、迷惑をかけない、いい人で生きてきたとしたら、大転換ですよね。

人に迷惑をかけて生きるなんてイヤだと思うかもしれませんが、人に迷惑ばかりかけて生きるようになると、何が起きるか想像できますか?

嫌われてしまうって思いますよね?

僕もそう思ってました。

でもやってみると、人に頼ってばかりのすばらしい人生になるんです!

 

心屋仁之助 

自分ができないことは人にやってもらい、自分の尻拭いを人にやってもらい、自分がやりたくないことを代わりにやってもらう。

そんな人生。

こんな人に迷惑ばかりかけて生きている人のためにある言葉が、実は「感謝の人生」という言葉なんです。

 

心屋仁之助 

人に迷惑ばかりかけていたら、「すみません」「ありがとう」と言いまくりますもんね。

すみません

ありがとう

これ、すごくいい人生だと想像つきますよね。

迷惑かけることで、あなたは感謝の言葉を繰り返します。

すると、感謝された相手はやさしい気持ちになります。

 

心屋仁之助 

やっぱり人の役に立てて、素直に感謝されたら、自分を認めてもらった気がして、いいことをした気がして、人は嬉しいものです。

そして嬉しい気持ちになるから、そういう嬉しさを自分にくれたあなたに、そしてまわりの人にもやさしい気持ちを抱きます。

そこにあるのは愛情です。

 

心屋仁之助 

迷惑をかけないようにがんばってきて、抱えきれずに最後にかける大きな迷惑のほうが迷惑ですよね。

「私はあなたにもっと優しくしたいし、あなたのことをもっと助けたいし、もっとあなたの役に立ちたかったのに、あなたが『いいえ、自分でやります』って肩肘はるから、何も手出しができなかったの」と言うと思います。

つまり、迷惑をかけないように、かけないようにと、すべてを自分で抱え込む人は超水臭い人。

人に迷惑をかけないように生きるのは水臭いの極みです。

 

心屋仁之助 

「自分は友だちがいない」「助けてくれる人もいない」と嘆く人は、「当たり前や。キミ、誰も頼ってないのに」

そう突っ込まれても仕方ないと思います。

 

心屋仁之助

人と助け合うというのは、自分の得意な部分で他人の役に立ち、不得意な部分を他人の役に立つ場として提供する。

そういうことではないかと思います。

それなのに迷惑をかけないというのは自分の両手をぐっと握っているようなものです。

ギュウ、ギュウと握りしめているんです。

そして「誰も私を助けてくれない」と辛そうに言う。

いや、あなたが自分で助けられないようにしているんです。

誰からも助けてもらわない。

活躍の場を与えない。

拒否していく。

こんな水臭いことはありません。

他人のやさしさを信用してないんですから。

そして、自分が助けてもらえる人だということも信じられていないのです。

 

心屋仁之助

人の頼みを断らない人は、人に断られるといちいち傷つく。

だから人に頼まない。

人に迷惑をかけない人は、人に迷惑をかけられると怒る。

だから迷惑をかけないように一人で頑張る。

で、一人でがんばって、誰も助けてくれないと言う。

それが迷惑なんです!

 

心屋仁之助

迷惑をかけあって、助け合うことが信頼なのです。

大好きなあの人を、大好きなあの人だからこそ、もっと頼ってあげよう。

もっと迷惑をかけてあげよう。

もっと役立たせてあげよう。

もっとあなたのために働かせてあげよう。

きっと喜ばれる。

ときに、嫌がられる。

それでもいい。

それが自然。

だってあなたも頼られると嬉しいでしょ。

 

心屋仁之助

これはもうパラドックスなんですけれども、認めて欲しいと思って何かをすると認めてもらえないんですよ。

それで認めてもらうことは諦めて認めてもらおうとをしなくなると認めてもらえるていうことなんですね。

 

心屋仁之助

ここがみんなの一番大きな勘違いなんですけれども、自分を認めてもらいたい、それで認めてもらおうとするっていう前提は自分は認められてないという前提なんですよね。

自分は認められてないから認めて欲しい。

自分は認められる存在だと思ってないから認められるために頑張る。

ここが一番大きな間違いだったっていうことにあるとき気がついたんですよ。

 

心屋仁之助

自分が抑圧しているものを吐く。

抑圧せずに生きるということは「ゲスく生きる」ということなんですね。

 

心屋仁之助

ゲスく生きるというのは言い方変えると、堂々と生きるということなんですよね。

自分の魅力と自分の能力、自分の生き方に自信を持って、誰かに批判されても私は私として生きていく。

この堂々さがゲスく生きるということになる。

 

 

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