【気をつけろ】まわりの目を気にしてばかりいる人におとずれる最悪の事態
今回はですね
どういう風に生きて
いったらいいかっていうことで
悩んでる人多いと思いますので
ちょっとそういった人に
アドバイスというかね
僕なりの・・後押しというか
そういう話をちょっとしたいと思いますけども
まあ一言で言うとですね
常識とか固定観念とかですね
世間の風潮みたいなものにですね
惑わされないで
生きていた方がいいって
話をね
ちょっとしたいと思います
僕は2010年の12月にですね
それまで勤めてた
不動産会社を退職しましたよね
いわゆる脱サラ・起業したんですね
で、法人・・
自分の会社を設立して
今日に至る
まあ約10年ですね
経つということなんですけども
今そういう生き方っていうのではですね
世間一般的いはですよ
そういうアウトサイダーな道
ですよね
主流じゃないですよね
そういう立場になってみてですね
改めて痛感するのはですね
結構、日本人みんな
いろんなものに
縛られすぎてるんじゃないかって
いうことなんですね
あまりにもみんなですね
こうあるべきだ
こうあらねばならない
っていう
強迫観念みたいなものに
縛られてですね
がんじがらめになって
生きているような気が
するんですね
それはですね
彼らは何によって
縛り付けられているのか
それを具体的な言葉にするのは
非常に難しいんですね
非常にぼんやりとしていて
なんともつかみどころのないものに
多くの日本人は
縛られちゃってるんですね
僕はですね
もっと自分のものさしって言うかな
自分の考えに沿ってというか
そういう生き方をした方がいいと思うんですよね
〇〇してはいけない
〇〇すべきだっていうね
僕もかつてはね
そのような固定観念に縛られてた
視野の狭い人間だったんですね
そういう視野狭窄っていうか
そういう視野の狭い人間になるとですね
それ以外のものは全部駄目っていうね
極端な思考、思想するように
なっていくんです
非常に危ないんですよ
おっかないんですよ
そういう人って
いろんなものがね
混ざり合って
渾然一体となって
多様性があるからこの世の中
面白いんじゃないですか
だからこそ人生は
生きる価値があるんじゃないですか
それなのにね
あの頃の僕はですね
視野が狭かった頃の僕はですね
なんかこう
一つのことにこだわって
一つのことだけが全て
それ以外は全部ダメみたいなね
なんか一色に染まっていたような気がするんですね
当然そういう生き方が
だんだんしんどくなってきましてですね
自分で自分の首を絞めてるような
生き方になってきまして
人生がどんどんどんどん
苦しくなっていったんですね
生きていくことがね
もっとこう自由にですね
おおらかに
なんかもっと「あらよっと!」というカンジにね
生きれば良かったんだけど
あの当時の僕はね
それが
出来なかったんですね
僕が好きなアメリカのドラマに
『ファーゴ』というのがあるんですけどね
そのドラマの中でですね
繰り返し
繰り返し
ある印象的な台詞っていうか
言葉がね
出てくるんですね
それはこういう言葉なんですよ
“もしもまわり間違っていて
自分が正しかったらどうする?”
っていう不思議な言葉が
このドラマ中で何回も何回も出てくるんですよ
いったいこれは何だろう?
いったいこれは
何を象徴してる言葉なんだろうか?
深い言葉なんですね
でもね
ま、僕なりの解釈ですけど
この歳になって思うのがですね
なんか
ホントそうだなと思うんですよね
なんかね
良い大学行って、良い会社に
就職して
なんか30歳ぐらいまでに結婚して
子供が二人生まれて
郊外にマイホームを建てて
車が2台ポンポンとその前(家の)にあって
年収は600万円くらいあって・・
とかね
そういう自分で事業を起こすとか
自分で会社をおこすとか
そういったことはいっさい
考えないで
定年65歳
今は70歳まで引き上げられようとしてますけども
ずっーと会社のために
真面目に働き続けると
東京に勤めてる方は
満員電車に揺られ
歯を食いしばって生きていくと
それがTHIS IS 日本人の生き方であると
それ以外の生き方はないと
夢みたいなことは考えるなと
それで
いいんですか?
っていうことなんですね
僕が選んだ生き方はですね
真逆ですよ
自分で会社をね
作ったり
自分でビジネスをやったり
銀行からね
アパートを買うのに
何億円ね
借金してますから
はっきりとそういう
THIS IS 日本的な生き方からしたら
もうちょっとおかしい
気狂ってると思われる
ような生き方なんですけども
でもそのアウトサイダーな道を
選んだおかげで
僕はただいまこうやってね
自由で
家族と過ごす時間もたっぷりあって
自分で自分の時間をコントロールできて
っていうね
そういうことができるように
なってるわけですね
だからさっきのセリフね
もしもまわりが間違っていて自分
が正しかったらどうする?
っていうことなんですね
あまりまわりに
振り回されない方がいいよ
っていう話なんですね
でもね
多くの人はですね
僕が選んだような
生き方はほとんどできないと思います
する人は
ほとんどいません
多くの人が最も恐れてること
それは自分一人だけ
みんなと違うことをやること
です
自分だけ仲間はずれになってしまうこと
孤独になること
自分だけ蚊帳の外
外れてしまうこと
道を外れてしまう
自分だけアウトサイダーな道を
歩んでいくこと
これを日本人はですね
一番恐れているんですね
僕もあの時言われました
いろんな人からね
お前は間違ってる
お前のやろうとしてることは無茶苦茶だ
お前はバカなアホだ
間抜けだってね
でもでも
10年くらい経って
もうあれから会社設立してから
10年経ちます
幸せで
まぁちょっとばかし豊かで
時間があって
自分で時間をコントロールできる
こういう
幸せを享受できてますね
だからこういうことですよ
世間一般で
良しとされてることってのは
眉唾もんだよ
っていうかね
実はいい加減なものなのかもしれないと
それが正しいかはどうかわからない
っていうことなんですね
そこにあるのは圧倒的な自由ですね
ただしもちろん自己責任で
会社という後ろ盾もありません
楽じゃない時もありますけど
でもその代わり
誰の指図も受けませんし
時間も自分で仕切ることができます
コントロールできます
自分の知恵や工夫で
ピンチがやってきても
それを乗り越えることができます
自分のものさしっていうかな
それで人生を生きていくことができると
これが一番僕ね
幸せっていうか
自由っていうか
いちばんいいことなんじゃないかなって
いうふうに思うんですね
そういう自分で仕切っていく
自分で自分をコントロールしていく
自分で人生を切り開いていく
生き方を選んだ人というのはですね
あんまりね
他人のあら探しとかね
ネガティブチェックとか
今流行ってますよね
どうでもよくなるんですね
芸能人が不倫したとかしないとかね
そういう話は
だからあいつは遅刻したとか
あいつの仕事ぶりは
不真面目だとか
あいつはあんなことしたとかって
あいつはこんなこと言ってたとかね
サラリーマンだった頃の僕はね
まわりのことばっかり
気にしてたような気がします
まあ今から思えば
ちょっとおかしかったのかも
しれないですね
まわりばかり気にするということはね
ちょっとノイローゼになってたのかも
しれないなぁと思うんですよね
自分の人生を生きるとですね
周りの事なんか
どうでもよくなっちゃうんですね
誰かが不倫したとかね
芸能人が不祥事を起こしたとか
どうでもいいですね
そんなことはね
同僚がどうしたとか
後輩がどうしたとか
上司がどうしたのかね
言ってましたね
サラリーマンの時ね
今の僕には
同僚も後輩も上司もいません
自由です
ストレスないですね
そういう人間関係とかのね
ま、という事で
時にはねそういう世間から
はみ出してみるのもいいんじゃないか
という話をちょっと今日は
してみました
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