仕事で働きすぎることは一つもいいことがないという話

公務員だった僕の父は、よく僕に言っていました。

「働くことはいいことだ。一生懸命働ければ、いつかきっと報われる」と。

父はその言葉を信じて疑いませんでした。

それは「真面目であること」が何よりも重要視される、公務員ならではのものの考え方でした。

 

社会人になった僕は父のその教えに従い、一生懸命真面目に働きました。

たしかに、一生懸命働ければいいこともありました。

上司にも褒めらるし、多少は出世もしました。

そして、出世をすればするほど、年収は高くなっていきました。

 

年収が高くなれば、マイホームを購入することもできますし、いいクルマにも乗れます。

結婚だってできるし、子どもも安心してつくることもできます。

だけど、それと引き換えに失うものもたくさんあります…。

 

たくさん稼ぐためには、たくさん働かなければなりません。

いつも営業ノルマに追われ、社内の嫌な人間関係にも耐えなければなりません。

自由な時間は失われ、ストレスは増大し、心身ともに不健康になっていきます。

一生懸命働くとことは、確かにメリットもあるけれど、それと同時にデメリットもたくさんあるのです。

 

そして、僕の場合はメリットよりもデメリットの方の比重が多くなってしまい、そこに耐えきれなくなってドロップ・アウトする道を選びました

 

「仕事人間」ってそんなにいいことなの?

僕の父は「一生懸命働ければいつかきっと報われる」ということを心の底から信じていました。

社会人になってからもそのことについて父と何度か議論をしましたが、父は絶対に自分の考えを曲げませんでした。

よくよく考えてみたら父は公務員です。

やっぱり公務員の人の感覚というのは民間企業に勤める人の感覚とはだいぶかけ離れています。

 

よく言われていることですが、これは真実です。

そして、その「ズレ」を多くの公務員の人は無自覚のままです。それが最大の問題なのです。

 

「働くことはいいことだ」「一生懸命働ければ、いつかきっと報われる」という言葉は父にとっては真実だったのかもしれません。

だけど、それは父にとっての真実であり、僕にとっての真実ではありませんでした。

 

僕はまったくもってその結論に納得できませんでしたし、今でも「その結論は間違っている」と思っています。

それは父のような恵まれた労働環境にいる人にとっては正論というだけの話なのです。

僕にとっては(僕のような境遇にいる人にとっては)、『まったく的外れの戯言』以外の何ものでもありません。

 

一生懸命働いている人は世の中にたくさんいます。

僕の知ってる人の中でも仕事のために身も心も捧げて生きてる人は何人もいます。

昔はそういう人のことを『ワーカホリック』と呼んでいました。

だけど、どうなんでしょう?

そういう人は報われるでしょうか?

幸せでしょうか?

 

確かに、一生懸命働くことによって、出世はするかもしれません。

多少は年収は増えるかもしれません。

だけど、それが「報われた」ことになるでしょうか?

報われるとはそもそもどういう状態のことをいうのでしょうか?

 

世界に目を向けても一生懸命働いてる人はゴマンといます。

中国や東南アジアの国々などでは1日のほとんどを労働に費やしてる労働者がいっぱいいます。

彼らは報われているでしょうか?

これから先、報われることはあるでしょうか?

 

従業員が一生懸命働いてくれればくれるほど喜ぶのは誰か?

僕は20代~30代にかけて父の教えて沿ってがむしゃらに働きました。

「一生懸命まじめに働ければいつかきっと報われるんだ…」ということを僕も信じていました。

だけど、30代半ばを過ぎたころから徐々にその言葉に疑問を抱くようになりました。

 

どんなに一生懸命働いても結局いちばんトクをするのは自分じゃない、ということに気づいてしまったのです。

僕が一生懸命働くことによっていちばん喜ぶのは僕を自分の会社に雇い入れた社長です。

 

会社の売り上げがアップすればするほど、社長個人のフトコロも温かくなります。

「役員報酬」というかたちで。

役員報酬は経費で落とせます。

経費で落とせる額が増えれば節税対策にもなります。

 

税金が少額で済めば、それだけ会社の利益はアップします。

会社の利益がアップすれば、役員報酬はさらにアップします。

僕はこのカラクリに気づいてしまったのです。

 

そして、僕が気づいたカラクリは、「会社」というものがこの世に誕生して以来、ずっと今日まで連綿と続いてきた『儲けのシステム』でもありました。

僕は「なぜ会社というものが儲かる仕組みになっているのか?」ということをそのときはじめて気づいたのです。

それと同時に父の言っていることがまったくの間違いであったことにも気づきました。

 

父のような考えをしていて、いちばん喜ぶのは会社の社長です。

黙って真面目に一生懸命働いてくれる従業員が増えれば増えれるほど、会社の社長のフトコロには札束が流れ込んでくるシステムになっているからです。

 

「労働は美徳」という価値観がサラリーマンを苦しめている

「働くことが大好き!」「働くことに生きがいを感じている」「自分の好きなことを仕事にしている!」…という人はいいかもしれません。

だけど、新聞やテレビなどでは自殺やうつ、過労死といった言葉が躍っています。

世の中のお父さん方を今、襲っているストレスはきっと相当なものだと思います。

 

そのお父さん方の姿を見ていると沸々と「これは何かが間違ってるんじゃないか…?」という想いがこみ上げてきます。

そんな傷つき、絶望してるお父さん方に向かって「一生懸命働けば、報われますよ」なんて、僕はとても言えません。

そして、そういうことを平気で言えてしまう僕の父のような人というのは相当、恵まれているか、単なるバカか、そのどちらかでしょう。

 

僕は「労働は美徳である」という考え方に背を向けた人生を選びました。

脱サラして、起業する道を選択したのです!

そんなことをする人間はほとんどいなかったので、僕は随分まわりから「変わり者」扱いをされました。

『世捨て人』のような言われ方をしました。

 

だけど、あれからだいぶ時が経って、今幸せな毎日をおくっているのは彼らの方でしょうか?

それとも、僕の方でしょうか?

 

僕は何も自分が選んだ選択のことを自慢しているわけではありません。

「一生懸命働いていれば報われる」という考え方は本当に正しいのかという問題提起をしているだけです。

 

朝から晩まで働いても、幸せになれないのならば、一体僕たちは何のために働いているのでしょうか?

ストレスをいっぱい抱え、心身ともに疲れ果て、醜悪な人間関係に耐え忍んでいったい何になるというのでしょうか?

 

僕の父のように「労働は美徳」と考える人はまだまだたくさんいます。

だけど、その考えが多くの人を傷つけ、苦しめているという、もう一つの側面にも我々はもっと目を向けるべきなのではないでしょうか?

 

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