不動産投資で経済的自由を確立して北海道でセミリタイア生活を送る大家のブログ

サカモトハルキの『僕はこう思う』

サカモトハルキ(映画好き大家さん)。
北海道で5棟74部屋+月極などの大家さんやってる40代ブロガー。
会社経営者。
不動産会社勤務を経て、38歳で経済的自由を確立 。セミリタイア生活へ。
2011年より法人化(法人8期目)
ブログでは「お金」「不動産投資」「人間関係」「教育」などを中心に発信中。
映画と音楽が大好き!
家族と猫とのんびり自由に生きてる小学生男子2人のパパさんです。
国際NGO『プランジャパン』のチャイルドスポンサーもやってます。

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プロフィール

 
  2018/04/07

 

もしかして僕は日本でいちばん自由なパパかもしれない

みなさんこんにちは、サカモトハルキ(@sakamoto1haruki)です。

 

僕は「もしかしたらオレは日本で今、生きてるパパさん(お父さん)の中でいちばん自由なパパなのではないか?」とふと思うことがあります。

 

もちろん厳密なことを言えばこの日本で僕よりも自由に生きてる人はたくさんいるはずです。

経済的な意味でも、精神的な意味でも・・・

 

でも僕がここで言いたいのは『それくらい僕は今、自由を感じている』ということです。

 

今、多くのお父さんが満員電車に揺られ、厳しいノルマを抱え、サービス残業もいとわず朝から晩まで働いていらっしゃると思います。

 

とくに僕と同世代の40代のパパさんなんかは世間から「働き盛り」なんて言われ、『人生のすべてが仕事』という状態に置かれている方たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

 

仕事が好きで、会社勤めが全然苦にならないという人ならまだいいでしょう。

でもきっとそういう人ばかりじゃない・・・

 

改めて言うまでもなく、日本では自殺する人の数は相変わらず高止まりのままだし、うつ病をはじめとする精神疾患を患っていらっしゃる方も非常に多いというのが現状です。

 

そんな僕と同じ年代の苦しんでるパパさんたちを見ていると、時々心の底から気の毒に思うことがあります。

 

それと同時に、「どうして僕みたいな人間がこんなに自由な毎日を送ることができているんだろうな?」とも思います。

 

それは本当に不思議なことです。

だって僕は何の取り柄もない人間だったんです!

 

子どもの頃から勉強もできなかったし、スポーツで華々しい成績をおさめたという記憶もない。

社会人になってからも、パッとしない人生を送ってきたのです。

 

それなのにどうして・・・?

 

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サカモトハルキっていったい何やってる人なの?

チョコレートを手に持って驚いた顔をしている少年

僕の職業は「アパートの大家さん」です。

北海道にアパートを5棟所有しており、その家賃収入で生活しています。

 

「そんなことできるの?」と不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それができるんです!

 

数年前から税金対策のために法人にもしました。

なんと驚くなかれ、こんな僕でも一応会社の社長だったりするのです!

 

みなさんは本気で『自由になりたい!』と思ったことはあるでしょうか?

「いきなり何だ!」と思われるかもしれませんが、これはとてもとても重要なことなのです。

 

もしも絵空事ではなく、夢物語でもなく、本当に自由な生き方がしたいと考えたことはあるでしょうか?

そしてその時にいったい何が必要でしょうか?

 

それを実現するためにどんな準備をしなければいけないでしょうか?

 

僕が思う『自由になるための条件』は次の2つです。

 

  1. お金
  2. 自由を心の底から愛する気持ち

 

____僕は自由に生きるためにはこの2つが揃ってなきゃいけないと思っています。

 

「自由になるためにお金はいらない」という人も中にはいますが、僕はその意見には賛成しません。

ロマンだけでは人は生きられないのです。

 

自由になるためには間違いなく「お金」が必要です。

それほど大きなお金は必要ないかもしれませんが、お金というものがなければ本当の意味での自由というのを手に入れることはできません。

 

世の中はキレイごとだけでは済まないのです・・・

 

ホームレスは確かに自由です。

でもその「自由」と、今僕がここで言ってる「自由」とはまったく別のものだと思います。

 

お金は自由な人生を送るためになくてはならないものなのです。

 

僕と不動産について

バラを口にくわえたスーツをきた少年

僕は38歳の時に勤めていた不動産会社を退職し、専業の大家さんになりました。

 

もともと僕は不動産とはまったく縁もゆかりもない人生を歩んできました。

でもある時、『不動産投資というものがこの世にある』ということの気づき、すっかりその虜になってしまいました。

 

そしていても経ってもいられず、それまで勤めていた金融関係の会社を辞め、不動産業界へ転職しました。

不動産のことを一から勉強したかったからです!

 

不動産会社に勤めていた数年間は僕にとっての『修行期間』以外の何ものでもありませんでした。

 

だいたい想像つくと思いますが、不動産の仕事はとても厳しいことで有名です。

実際やってみると本当に笑っちゃうぐらいに厳しくて、何度もくじけそうになりました。

 

だけど、歯を食いしばって頑張りました。

今の僕があるのは間違いなくあの時の頑張りがあったからです。

不動産会社で厳しい修行を積まなかったら、僕はきっと専業の大家さんとしてメシを食ってゆくことなんてできなかったでしょう。

 

先ほど僕は自分のことを「大したことのない人間だ」と言いました。

でも唯一、人に誇れることがあるとすれば、『厳しい不動産の世界で頑張って働いた経験がある』ということかもしれません。

 

それが僕にとっての最大の武器であり、特徴かもしれません。

そして言うまでもないことですが、そのことが僕の人生を救ってくれたのです!

 

アパート経営のいいところは『自分ひとりで済むビジネスだ』ということです。

 

 

従業員を雇う必要もありません。

店舗を構える必要もないし、在庫を抱える必要もありません。

家にいながらできてしまう仕事なのです。

 

だからずっと家族と一緒にいられるのです。

それが『アパート経営は不労所得』と呼ばれる所以なのです。

 

僕にとってこんなにハッピーなことはありません!

 

僕の人生は“資産”を手に入れたことによって変わった

本を手にとって笑っている男の子

毎月うちの会社に「家賃収入」をもたらしてくれているアパートは僕にとって大切な『資産』です。

 

何度も言うように僕自身はそれほど大した人間ではないのです。

でも僕は「資産を構築することだけはうまかった」のだと思います。

 

アパートの部屋ひとつ取ってみても、「顧客のニーズ」を満たしてあげなければ商売になりません。

でも一旦、顧客のニーズをつかみ、信頼してもらえればそれは大きな大きな資産になります。

 

僕や僕の家族がこうして毎日自由に幸せに暮らしていけるのは資産が稼いでくれているからです。

だから、もしもあなたが僕みたいに自由にのんびりと暮らしたいと考えているならば、何としても自分なりの資産というものを構築しなければなりません。

 

そのためにはリスクを引き受けなければなりません。

家賃収入をもたらしてくれる不動産を購入するためには何千万円(時には何億円)という借金をしなければならないのです。

 

たとえ事業がうまくいったとしても、給料やボーナスをもらえるサラリーマンという安定を捨て、いつどうなるかわからない不安定なフリーランスの世界でやっていかなければなりません。

 

それに、商売をやる人間に対する世間からの風当たりはあなたが想像している以上に冷たいですよ。

 

それらは全部リスクです。

あなたにはそういった諸々のリスクを背負う覚悟があるでしょうか?

 

でも「リスクなきところに飛躍もなし」です。

資産はリスクを背負った人間でなければ手に入れることはできないのです。

 

 

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これまでの僕の経緯みたいなやつ

赤いジャンバーを着て何かを飲んでる少年

これまでの僕の半生をカンタンに綴っておきましょう。

 

幼少期(0歳〜、1973年-)

生まれも育ちも北海道です。

両親は二人とも高校教師でした。

親が学校の先生であるにもかかわらず、僕は子供の頃から勉強が大の苦手でした。

そしてそのことが後々、僕を長いあいだ苦しめることになるのですが、子供の頃はそんなことはあまり考えず、友達と野原を駆けまわって遊んでばかりいました。

いつもすり傷の絶えない活発な少年でした。

 

小学校時代(6歳〜、1978年-)

小学校3年生くらいの時に父親の影響でこのビートルズと出会い、狂ったように熱心に聴くようになりました。

僕はビートルズから『自由』を教えてもらいました。

僕が『自由』というものをこれほどまでに大切にするのは間違いなくこの小学校時代に出会ったビートルズからの影響です。

 

中学校時代(12歳〜、1985年-)

バスケ部に所属し、部活に明け暮れた毎日を送っていました。

この頃に初恋と失恋を経験しました。

相変わらずビートルズは聴いていたのですが、この頃から少しずつその他の音楽や映画、本といったものにのめり込むようになっていきました。

それまでは明るいだけが取り柄の活発な少年だったのですが、だんだん思春期に差し掛かるに連れて内省的になっていきました。

勉強は相変わらずダメでした(笑)

 

高校時代(15歳〜、1988年-)

高校時代の僕は完全に「混沌とした思春期の真っ只中」にいました。

いつも何かに悩み、いろいろな葛藤を抱えていたような気がします。

勉強はパッとしませんでしたが、本だけはよく読んでいました。

やっぱり何かに悩んでる時は本に手が伸びるものです。

僕も「そこにオレの探してる答えがあるんじゃないか?」ということで、しょっちゅう図書館に入り浸って本ばかり読んでいました。

家では映画を観たり、ロックを聴いたりしてばかりいました。

学校の先生をしていた両親とは当然のことながら衝突してばかりいました。

「お前は落ちこぼれだ!」という父親の言葉は、今でも心に残っています。

 

大学時代(18歳〜、1991年-)

勉強はそれほどできなかったけれど、僕はどうにかこうにか地元の三流大学に滑り込むことができました。

大学時代の僕は「モラトリアム」を絵に描いたような大学生。

「タチの悪い自分探し青年」でした。

自意識みたいなものが開花しちゃって、もう朝から晩まで自分の殻に閉じこもってました。

でも決して引きこもっていたわけじゃないんです。

バイトもしてたし、友だちとも遊んでいたし、女の子とも付き合ったりしていた。

だけど基本的にはいつも何か「心ここに在らず」っていう感じで、常に何かを探していました。

本や映画、音楽にますますハマりこみ、北海道の片田舎の暗い部屋の中で自分の世界を勝手に作り上げては悦に入っていましたね。

ヤバいやつでした。

完全に地に足がついてなかった。

よくヘンな宗教とかに引っかからなかったもんだ。

 

社会人生活へ(22歳〜、1995年-)

大学を卒業後、僕は地元の企業へ普通に就職しました。

本当は就職なんかしたくなかったけど、致し方ありません。

何らかの形で食っていかなければならなかった。

だから僕はサラリーマンになりました。

配属になったのは「リース」の仕事をする部署。

結果的には僕はその仕事を通じて金融のことや経済のことを学ぶ機会を得るのです。

僕は今、会社などというものを経営していますが、この時に仕事としてやったことが大変役立っています。

スティーブ・ジョブズも言ってますよね。

 

「その時にはどんなに役に立たないことだと思っていたとしても、後々になってからそれが思いもよらぬところで役に立つことがある」

 

って。

リースという仕事を経験できたことは僕にとって大きな財産になりました。

そのおかげで僕は「世の中はお金で動いている」ということを何となく理解することができました。

 

仕事のストレスが原因で自律神経失調症に(30歳、2003年)

いつのまにか僕は身も心もすっかりサラリーマンになっていました。

朝から晩まで会社のために、そして課せられた営業ノルマを達成するために一生懸命働きました。

「自由に生きる」なんていう夢はすっかり消え失せてしまっていました。

そんな絵空事、言ってる場合じゃない。

僕はすっかり「ただ真面目に働くだけのマシーン」のような存在になっていました。

きっと無理がたたったのでしょう。

だから『強制終了』がかかったのです。

ある日突然、僕は原因不明の激しいめまいに襲われました。

病院に行って診てもらったら「自律神経失調症」と診断されました。

即入院でした。

「いったい、オレに身に何が起こったんだろう?」

____ただただ、とにかく恐ろしかったことを今でも覚えています。

 

人生のターニング・ポイント(同じく30歳、2003年)

でもこの自律神経失調症という病気になったことと、入院生活は僕に自分の人生を見つめ直すいいきっかけになりました。

今から振り返ると、このことが僕の人生のターニング・ポイントになりました。

僕は真剣に思いました。

「どうしてあんなに一生懸命働いたのに僕はこんなに苦しい想いをしなきゃいけないんだろう?」と。

そして、気づきました。

その答えは簡単!

僕がサラリーマンだったからです。

僕はここである一つの重要な『答え』を見つけるのです。

 

  • 僕が朝から晩までがむしゃらに働いていちばんトクをするのは僕じゃない。
  • 僕が給料をもらっている会社やその会社の社長だ!

 

____この発見が僕の人生を変えました。

サラリーマンでいる限り、僕が抱えている問題や悩み、苦しみは一生解消されない。

解決するためにはサラリーマン以外の道を見つけなきゃいけない。

僕の事業家としての人生はこんなきっかけからスタートしたのです。

 

結婚、そしてV字回復へ(31歳、2004年)

2003年は僕にとって忘れられない年となりました。

人生の最悪な出来事と最高の出来事が同時に起こった年でした。

最悪な出来事とは自律神経失調症になったこと。

最高の出来事は奥さんと出会ったことです。

退院後まもなく仕事に復帰した僕はひょんなことから彼女と運命的な出会いを果たしました。

「ビビッときた!」とは随分古い言い回しですが、それ以外に適切な表現はありません。

彼女を一目見た瞬間、本当にビビッときました。

開けて2004年。僕は彼女と結婚しました。

ここから僕の快進撃が始まります。

どん底からV字回復へ!

人生というのは本当にわからないものですね。

 

不動産投資との出会い(32歳、2005年)

奥さんと出会ったことも運命の出会いかもしれませんが、

もう一つ『不動産投資』というものと出会ったことも

僕にとっては運命の出会いでした。

僕は自由を何よりも大事にする人間でした。

そして本当の意味で自由を得るためには「不労所得」を得なければいけない、

ということに気づきました。

不労所得は今まで僕がサラリーマンをやりながらやってきたこと(勤労所得)とはまったく違うものでした。

それは投資をすることによって得られるものでした。

そしてその不労所得を得る最も最善の方法が『不動産投資』だということを僕は知ってしまったのです。

それが2005年のこと。32歳の頃の話です。

このことに僕は気づいてしまったのです。

そしてそのことによって僕の人生は大きく変わっていくのです。

 

不動産会社へ転職(32歳〜、2005年〜)

この頃は次から次へと大きな決断を迫られていた時期でしたね。

それだけ僕の人生にとって大事な時期だったんです。

この不動産会社へ転職も僕にとって人生を変える大きな決断でした。

僕は「不動産投資こそが僕の人生を救う」と確信していました。

だけど僕に決定的に欠けていることがありました。

それは『現場感覚』でした。

不動産投資を本格的に学ぶためにはやはり不動産の世界に身を置いて、現場感覚を身につける必要があると僕は考えました。

だから僕はそれまで勤めていた会社を辞め、不動産会社に転職することにしました。

それまで僕はリースという不動産とは縁もゆかりもない業界にいましたから、「これではいつまで経っても本格的な不動産投資家になれない」という焦りもありました。

リース会社に勤務しながら不動産投資をやることはもちろんできました。

でもそれだと根本的な解決になってないような気がしました。

中途半端な気がしました。

僕はサラリーマンじゃない生き方をしたいと考えていました。

でもそれはとてもリスキーな生き方でもありました。

何億円も銀行から借金をする必要もありました。

 

『不動産投資のプロにならなければいけない。不動産のことを隅から隅まで知り尽くしておかないと、失敗する』

 

____僕の中にはそんな危機感のようなものがありました。

だから僕は不動産会社に転職して「不動産のことを一から学んでやろう!」と思ったのです。

 

初の収益物件を取得(36歳、2009年)

僕は不動産会社で勤務しているかたわら、不動産投資をスタートさせ、

2009年に人生初の収益物件を購入しました。

そのアパートは鉄骨造2階建の1DKが8部屋ある物件でした。

築年数もだいぶ経っており、お世辞にも「キレイな物件」ではありませんでしたが、

とにかくそこから僕の大家さんとしてのキャリアがスタートしました。

ちょうどリーマンショックが起きた直後で、1,500万円という恐ろしく安い価格で僕はその物件を手に入れることができました。

利回りは約18%。

お金は国民金融公庫(当時)から借りました。

銀行では「不動産会社に勤務している」ということがかなりのアドバンテージになりました。

やっぱり銀行と初取引する時には『何らかの武器』を持っていないといけないと僕は実感しました。

不動産営業の仕事は確かに大変だけれど、その代わりこのような形でその恩恵を受けることができる。

もしも僕が不動産会社に転職していなかったら、融資がつながっていたかどうかわかりません。

もしも融資が繋がらなかったら不動産投資をスタートさせることはできなかった。

だから、どこで何がつながっているかわからないのです。

人生というのは本当にわからないものです。

いずれにせよ、僕はこの物件を皮切りに、その後次から次へと物件を買い増していきました。

 

不動産会社を退職→脱サラ起業(38歳、2011年)

不動産会社での過酷な業務に耐え、さまざまなことを学ぶことができました。

この不動産会社での日々は僕にとってまさに修行期間でした。

そして僕はその修行期間を終えて不動産投資家として、アパートの大家さんとして生きてゆく決心をしました。

その門出の年がこの2011年という年でした。

ちょうど東日本大震災のあった年ですからよく憶えています。

いろいろ決断の多い人生を歩んできましたが、今回の決断はこれまでの決断とは明らかに違うものでした。

今回は「転職」ではなく、「脱サラ」です。

生き方をガラリと変える大きな決断です。

それはとても恐ろしいことであると同時にとても重要な決断でした。

この時の大きな決断が文字どおり僕の人生を良い方向へ変えてくれました。

そういった意味において『リスクなきところに飛躍なし』という言葉はまったくもって正しいと言わざるを得ません。

給料やボーナスのない世界に足を踏み入れることは死ぬほど怖かったけれど、この時この決断をして僕は本当に良かったと思っています!

 

会社を設立して社長になる(38歳、2011年)

脱サラ起業後ほどなくして会社を設立しました。

いわゆる「法人成り」っていうやつです。

ただし会社といっても典型的な家族経営の会社です。

役員や従業員は家族以外の人は雇っていません。

法人成りをするとさまざまな税務上のメリットが出てきます。

それと同時に社会的にも信用を得ることができます。

これを機にうちの会社は無理をしない範囲で新規物件を買い増していきました。

それと同時にそれまで僕個人で所有していた物件も会社の名義にしていきました。

どんなに小さな会社でも会社は会社です。

僕みたいな落ちこぼれでも会社の社長になることができるんです(笑)

 

プラン・インターナショナル・ジャパンへの支援をスタート(41歳、2013年〜)

家族と話し合い、国際NGOの「プラン・ジャパン」(https://www.plan-international.jp/)というところへ毎月支援してゆくことを決めました。

以前から「何らかの形で発展途上の国々で暮らす子供たちの資金をしたいなぁ…」と漠然と思ってい担です。

これはたぶん

僕の大好きなU2のボノやジョン・レノン、チェ・ゲバラの影響です。

最初は実際に現地に行って何かやってみようかな?とも思いましたが、それは現実的な意味でも自利的な意味でも本当に子どもたちのためになる活動ではないような気がしました。

そこで「お金」という形で彼らを援助しようと思ったのです。

僕は一応、事業家の端くれですから、お金という形で子どもたちをサポートすることがいちばん合ってるし、本当の意味での支援につながるのではないか?と考えたのです。

 

 

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僕はこんな感じのヤツです

枯葉を顔に当てて遊ぶ女の子

 

仕事

職業は一応「会社経営者」ということになるでしょうか。

業種は家賃収入とネット収入の二本柱です。

 

以前の仕事

脱サラ起業する前は不動産会社で働いていました。

その前はリース会社で働いていました。

いずれも営業です。

僕の不動産の知識と金融に関する知識は仕事を通じて学んだものです。

ありがたい限りです。

 

脱サラ起業

脱サラ起業したのは2011年。

38歳の時でした。

まわりからは猛反対され、「アホだ」「マヌケだ」と散々叩かれましたが、

今となっては僕の決断は間違ってなかったと胸を張って言えます。

 

年齢

現在44歳です。

いわゆる「団塊ジュニア世代」です。

木村拓哉、宮沢りえ、大泉洋、堺雅人、有吉弘行、ホリエモン、マツコ・デラックスなんかと同世代ですね。

*芸能人の名前を挙げた意味があったんだろうか?笑

 

住んでるところ

北海道在住です。

住んでいても実感しますが、北海道は本当にいいところですよ!

 

僕の妻は僕なんかよりもはるかに賢い人です。

いつも的確なアドバイスをくれるありがたい存在です。

速読の達人で、誰かも愛されるすごい人格者でもあります。

僕よりもはるかに人間ができています。

本当に心強い味方です。

 

結婚

新婚旅行はハワイに行きました。

「ラニカイビーチ」のあまりの美しさに感動し、それ以来すっかりハワイの虜になってしまいました。

 

子供

子供は2人います。

男の子の兄弟です。

二人とも小学生です。

本当に愛おしいです。

どんどん成長してゆくのが嬉しいやら、悲しいやら・・・

 

性格

基本的にはのんびり屋です。

でも本気にならなきゃいけない場面では人並み以上に真面目になっちゃうところがあります。

よく奥さんからも「考えすぎないようにね」って注意されます。

 

人付き合い

僕は営業マンをやっていましたので人と話すのはそれほど不得意というわけではありません。

でも基本的には「個でいること」を大切にしたいと思っているタイプです。

あんまり集団の中にいるのは好きではありません。

 

好きなもの1

映画が好きです。

夜、コーヒーとお菓子をお供に妻と一緒に映画を観る時間が僕にとっての至福のひとときです。

映画のジャンルは何でも好きです。

洋画も邦画もどちらもOK!

 

好きなもの2

本が好きです。

とにかく僕はよく本を読みます。

ジャンルもいろいろです。

どんな本にも必ず何らかの「得るもの」があります。

インプットする姿勢さえ失わなければ、

人生は何とかなります。

 

苦手なもの

とにかく「権威」が大嫌いですね。

偉そうにしている人を見たりなんかすると本当に腹が立ちます。

僕は常に強い人ではなく、弱い人の味方でいたいと思っています。

 

使用しているパソコンとスマホ

ノートパソコンはMac Book Proというものを使用しています。

スマホはiPhone7です。

完全にMacユーザーですね。

 

タバコ

タバコは37歳の時にやめました。

以来ずっと禁煙しています。

タバコという忌々しい存在から解放された人生がこんなにもハッピーなんて!

早く喫煙者の人にも気づいて欲しいなぁ。

 

ダイエット

何を隠そう僕は40キロものダイエットの成功者なんです。

サラリーマンをしていた頃の僕は113キロ(!)もありました。

その頃の写真を見ると、「これ、本当に自分?」と疑ってしまいます。

 

影響を受けた人物

ジョン・レノン、ボブ・ディラン、デビッド・ボウイ、ボノ(U2)、ミック・ジャガー、スティーブ・ジョブズ、チェ・ゲバラ、ウォーレン・バフェット、坂本龍馬、ビートたけし、村上春樹、村上龍、夏目漱石、宮崎駿、桑田佳祐、養老孟司、孫正義、etc・・・

 

好きな言葉

英語のことわざに

 

“every cloud has a silver lining.

(どんなに曇っていても、その雲の裏側は晴れているものだ)”

 

というものがあります。

これ、大好きな言葉です。

これは要するに「うまくいかない時でも、よくよく目を凝らせばその中にきっといいことが隠れている」という意味です。

本当にそうだと思います。

僕の人生をふりかえってみても、悪い出来事からの方がたくさんいろんなことを学ぶことができた。

だからツライことがあった時なんかはいつも僕はこの言葉を呪文のように唱えるようにしています。

 

 

SNS

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メール

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取材やお仕事の依頼なんかもこちらからお願いします。

 

まとめ

芝生を走っている少女

いかがでしたでしょうか?

 

これだけじゃ、なかなか伝わらなかったかもしれませんが、僕が「何をやっていて」「どんな人間なのか」ということについてサクッと書いてみました。

 

これからも「自分らしさ」を忘れずに、このブログをたくさんの人に読んでもらえるようにガンバっていきたいです。

 

ぜひ応援してくださいね!

 

 

 

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