【冷静に考えてみよう!】お金持ちはなぜ大して働いてないのにお金持ちでいられるのか?
お金というのは労働の対価として得られるものなのだろうか?
いや、どうやら違うらしいぞ・・・
そんな漠然とした疑問にぶち当たったのは、一体いつの頃だっただろうか。
それまでの僕はお金というのは一生懸命働くことによってのみ得られるものだと信じて疑わなかった。
だから一生懸命働いた。
それこそ汗水垂らして毎日懸命に働いた。
当時の僕はサラリーマンをしており、営業ノルマを抱えていた。
仕事はキツかった。
目の前のノルマを達成することだけが僕の人生のすべてだった。
その代わり、頑張れば頑張った分、給料やボーナスがいっぱいもらえた。
歩合制だったので、さらに頑張って働いた。
そうしないといけないものだと思っていた。
そうやって懸命に働かないとお金というものはもらえないものだと思っていた。
だから僕は来る日も来る日も会社のために一生懸命働いた。
僕は知らないうちに日本的価値観に染まっていた
サービス残業なんて当たり前。
休日出勤なんて当たり前。世間では長時間労働が問題視されていたが、そんなことはお構いなしだった。
僕以外のほとんどの営業マンもだいたい僕と同じように身も心も会社に捧げて働いていた。
そのことを特に誰も疑問に思っていなかった。
そういうものだと思っていた。
『社会に出て働いて、会社からお給料をもらう』というのは、そういう毎日を過ごすことだと勝手に思っていた。
社会人になるってそういうことだと勝手に思っていた。
それ以外の道があるなんてこれっぽっちも考えなかった・・・
だから真面目に働いてない同僚がいたりすると、「おい、ちゃんとやれよ!」なんて注意をしたりもした。
定時ピッタリで帰ろうとするヤツがいたりすると、舌打ちした。
許せなかった・・・
今の僕からは想像もできないことだ。
僕は身も心もどっぷり浸かってしまっていたのである。
『典型的日本的サラリーマンのライフ・スタイル』ってやつに、僕は知らず知らずのうちに染まってしまっていたのである。
今、僕は不労所得というものを手にして生活している。
その不労所得は不動産投資を行うことによって得られるようになった。
不労所得なんだから特に働く必要はない。
でも、働いていないのにも関わらず、僕のフトコロにはお金が入ってくる。
お金だけではない。
今の僕にはたっぷりと自由な時間がある。
日々の煩わしい業務はすべて管理会社がやってくれている。
彼らにすべて任せてあるので、僕は労働をする必要がない。
自分で言うのも何だけど、はっきり言ってこれは『夢のような生活』である。
典型的日本的サラリーマンとしてのライフ・スタイルを送ってきた身からすれば今の僕の毎日は信じられないことだ。
僕が大人たちから教えられた話は真っ赤な嘘だった
世の中、そんなに甘くないぞ!
人生はラクをして稼いでいたら、いつかバチが当たるぞ!
子供の頃から僕たちはまわりの大人たちからそんな言葉を散々浴びせられて育つ。
しかし、その言葉は本当に正しかったのだろうか?
本当に世の中というのは厳しいことだらけで、ラクをして稼ぐことは良くないことなのだろうか?
それはその人がそう思ってるだけで、実際は違うのではないだろうか?
僕は今のような生活を送るようになって、いちばん驚いたのはそのことだった。
まわりの大人たちから散々聞かされていた話と、実際は随分違っていた。
そのほとんどが真っ赤な嘘だったのだ!
実際には苦労をしなくてもお金をたくさん儲けてる人が世の中にはゴロゴロいた。
その人たちは僕が朝から晩まで会社のために汗水垂らして働いてる横で、ずっと涼しい顔をして悠々自適に暮らしていたのである。
それが現実だった。
大人たちから聞かされた話とだいぶ違う!!
それなのに僕は『一生懸命働かなければお金を得ることができないのだ!』という強迫観念に囚われていた。
狭い視野でしか世の中を見ることができなかった。
一生懸命働き、営業成績を上げれば、それだけ歩合がついて給料やボーナスが増える。
でも、それは麻薬みたいなものだ・・・
その方法に取り憑かれれば取り憑かれるほどそこから抜け出すのが困難になってゆく。
もっとラクに、もっと簡単に、もっと大量にお金を稼ぐ方法はすぐ近くにあった。
にも関わらず、「いや、そんなものはないのだ!」といった具合に僕はすべてをシャットアウトして見ないようにした。
なぜ僕はそんな風にフタをしてしまったのだろう?
なぜもっと流れに身を任せようとしなかったのだろう?
なぜあんなに力んで生きなければならなかったのだろう?
なぜ「ラクをしてはダメだ!」と思っちゃったんだろう?
なぜ懸命に働かなければお金は入ってこないと自分に言い聞かせていたのだろう?
もしもタイム・マシーンが開発されたならば、真っ先に僕はあの頃に戻って自分に聞いてみたいと思う。
お金持ちたちは汗水垂らして働いていない
お金持ちの人たちの姿をよくよく見てみよう。
彼らが普段何をやり、どんな毎日を送っているか、よくよく目を凝らして見てみよう。
彼らは毎日汗水垂らして働いているだろうか?
営業ノルマを抱えて、朝から晩まで働いているだろうか?
年収が高いのと、お金持ちであることは違う。年収が1,000万円を超えていようが、1,500万円を超えていようが、そんなことはさして重要なことではないのだ。
年収の高い人は『年収が』高い人である。
僕の定義で言えば、年収が高い人というのはお金持ちではない。
本当のお金持ちはゴルフをやったり、繁華街を飲み歩いたり、旅行に行ったりしながら毎日楽しく暮らしている。
自分の代わりに会社や資産が稼いでくれているから、わざわざ自分が働く必要がないのである。
彼らの労働力は、おそらく僕がサラリーマンをやっていた頃の100分の1、あるいは1000分の1くらいではないだろうか。
自分が仕事をしなくても優秀な部下が仕事をしてくれれば、それで会社はまわるのだ。
自分が仕事をしなくても優秀な資産がお金を稼いでくれれば、それで所得は得られるのだ。
僕はどうやら大きな勘違いをしていたようだ。
そして今も当時の僕と同じように大きな勘違いをしている人がたくさんいるのだ。
ハワイのホテルのプールサイドで「ブルー・ハワイ」か何かを飲みながらリゾートを満喫してるお金持ちの人たち。
彼らは働かないのにどうしてそんなことができるのだろうか?
そのお金はいったいどこから来るのだろうか?
お金持ちの人たちは、そんなバカンスを楽しむお金と時間をどうやって作り出しているのだろうか?
いろんなことをきちんと冷静になって考えてみよう。
勤勉に働ければお金持ちになれるわけではない
僕が子供の頃、まわりの大人たちは『お金持ちになりたかったら勤勉に働かなきゃいけない』と僕に教えた。
しかしよく考えてみたら、そういう風に僕に語って聞かせた大人たちはお金持ちではない。
毎日ハワイのプール・サイドでカクテルを飲んでのんびり暮らしているわけではない。
月曜日から金曜日まで、朝から晩までびっくり働きづめで、それで何とか平均的な生活を維持しているくらいのレベルである。
そしてその多くが自身の将来や老後に対して大きな不安を抱えている・・・
つまり、彼らはちっともお金持ちではないのだ!
お金持ちじゃないのに、「お金持ちになりたかったら〜」とか「お金持ちになるには〜」なんて話を子供にしていたのである。
それはよくよく考えてみたらおかしな話だ。
毎日悠々自適に暮らしているお金持ちの人が「お金持ちになりたかったら、こうしてごらん」と言うのなら話はわかるけど・・・
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