不動産投資で経済的自由を確立して北海道でセミリタイア生活を送る大家のブログ

サカモトハルキの『僕はこう思う』

北海道で5棟74部屋+月極などの大家さんやってる40代ブロガー。会社経営者。
不動産会社勤務を経て、38歳で経済的自由を確立 。セミリタイア生活へ。
2011年より法人化(法人8期目)
ブログでは「お金」「不動産投資」「人間関係」「教育」などを中心に発信中。
映画と音楽が大好き!
家族と猫とのんびり自由に生きてる小学生男子2人のパパさんです。
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【これは意外だった!】 僕が社会に出てから「学力よりも役立つなぁ」と感じたものとは?

2018/06/07
 
この記事を書いている人 - WRITER -
サカモトハルキ
北海道で5棟74室+月極Pの大家さんやってます。会社経営者。不動産会社勤務を経て38歳で経済的自由を確立。セミリタイア生活へ。2010年12月より法人化(8期目)。ブログでは「お金」「不動産投資」「人生哲学」をテーマに発信中。映画大好き!奥さん&中1小4男子(あと猫も)とのんびり自由に暮らしてまーす。
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マリー・アントワネットは貧困と飢餓に苦しんでる民衆に向かって「パンがないなら、お菓子を食べればいいじゃない」と発言し、ギロチンにかけられた。

なぜマリー・アントワネットはこのような発言をしたのだろうか?

 

こんなこと言わなければ、処刑されることもなかったのに・・・

こんなことを言わなければ、民衆の怒りを買うこともなく、フランス革命も起こらず、王政は存続し、何不自由なく平穏無事に暮すことができたのに・・・

 

僕はこの発言は彼女の『本音』だったのではないかと思っている。

本当に心の底から思ったことをただ素直に言葉にしただけなんじゃないかと思っている。

 

マリー・アントワネットは「これを言ったら民衆の反発を買って、それがやがてとんでもない事態に発展してゆく」ということがわからなかった。

いわゆる『想像力の欠如』ってやつだ。

 

では、なぜ彼女は想像力が欠如していたのだろうか?

それは言うまでもない。

彼女には「貧困」の苦しみも、「飢餓」の苦しみもわからなかったからだ。

 

わからないものを「想像しろ!」と言われても、困る。

わからないんだから想像力が働くはずがない。

 

マリー・アントワネットは幼い頃からお姫さまとして大切に扱われ、英才教育を受けた。

家庭教師にみっちり指導され、勉強も優秀だった。

語学にも堪能。

バレエも踊れて、ハープなどの楽器も演奏できた。

 

すべてにおいてパーフェクトだった・・・

 

そんな人が庶民の気持ちなんかわかるはずがない。

貧困や飢餓に苦しむ人の心なんかわかるはずもない。

 

お城にはパンもあれば、お菓子もたっぷりあるのだ。

だから彼女は「パンがないなら、お菓子を食べればいいんじゃないの?」と素直に発言したのだ。

 

だが、それゆえに彼女は大きな代償を払うことになる・・・

 

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なぜ僕は今、マリー・アントワネットの話をしているのだろう?

僕は何を言いたいのだろう?

 

僕には二人の子どもがいる。

うちの子どもは通っていないが、子どもの友達のほとんどは学習塾に通っている。

まだ小学生だというのに、ほとんど毎晩、夜10時くらいまで勉強しているそうだ。

 

勉強熱心なのは大いに結構なことだ。

「できることならいい学校に・・・」という親心も理解できる。

 

だが、そこまでして子どもに勉強させ、いい学校に行かせて、何かいいことがあるんだろうか・・・?

ふと疑問に思ってしまう。

 

僕は落ちこぼれだった。

子どもの頃からとにかく勉強というものが苦手で、学校の成績も散々だった。

だから僕は勉強以外で活躍できる場所を自分で見つけなければならなかった。

『学力』というものが一切問われない世界に飛び込むしか他に選択肢はなかった。

 

だから僕は投資ビジネスの世界に飛び込んだ。

不動産投資(アパート経営)というものを発見し、入居者のみなさんから家賃収入を得て生活してゆく道を選んだ。

 

そこはまったく学力が問われない世界だった。

僕がどんなに学歴であるかが一切関係ない世界だった。

 

だから僕は救われた。

そういうものがこの世にあるということを発見できたことは、僕にとって最大のラッキーな出来事であった。

 

もちろん、すべての人が僕と同じように投資やビジネスの世界に進む必要はない。

僕が選んだこちらの道にもこちらの道ならでは苦労というものはある。

だから決して『すべてがバラ色』というわけではないのだ。

 

物事はすべてコインのウラ・オモテだ。

何かを得るということは、何かを失うことでもあるのだ。

 

効果の裏には副作用というものもある。

メリットの裏にはデメリットというものもある。

 

僕は学力というものに背を向けた。

そのせいで不安定な投資の世界やビジネスの世界に飛び込まざるを得なかった。

それは明らかにリスクだった。

 

普通の人はそんなリスクを背負ったりしない。

しかし、そのリスクを背追い込んだおかげで、僕は自分の事業を成功させることができた。

そして自由でハッピーな毎日を手に入れることができた。

 

小さい頃から学習塾に通い、勉強漬けの毎日を送る人生にも良いことはあるだろう。

学校で良い成績をとることの見返りというものもあるだろう。

 

勉強を頑張れば、いい学校に行くことができる。

名門大学を卒業することができれば、その後の人生も有利に運ぶだろう。

就職する時にも苦労することはない。

 

いい会社に就職できれば、高い給料と高いボーナスがもらえるだろう。

そういう会社は福利厚生もしっかりしているだろう。

ブラック企業のように労働基準法違反の状態で働かされることもないだろう。

 

だが、それと引き換えに失うものもあるのではないだろうか?

 

どんなにいい大学を卒業しても、どんなにいい会社に就職しても、どんなに年収が高くても、それでもやっぱりそこには「副作用」もあるし、「デメリット」もある。

すべてはコインのウラ・オモテなのだ。

そっちを選択をすることにもリスクはあるのだ。

 

では、そういう人生を選択することのリスクとはいったいどんなものだろうか?

 

東大は40歳を超えてからでも受験できる。

60代で司法試験をパスする人だっている。

でも青春は違う。

青春時代というのは二度と手に入らない。

 

それはある一定の限られた時間の中だけにしか存在しないものだ。

過ぎ去ってしまった後では、決して取り戻すことのできないものだ。

どんなに寿命が伸びたとしても、もう二度と手に入れることができないものだ。

 

僕はいろんな人に聞いてみたい。

 

青春を『勉強』だけで埋め尽くしてしまって、本当にいいんですか?

____と。

 

もちろん勉強を頑張った分の見返りというものもあるだろう。

いい学校に入学できるかもしれない。

いい会社に就職できるかもしれない。

 

でもその後は?

 

人生はその後もずっと続いてゆくのである。

東大に入学しようが、一部上場企業に就職しようが、医者になろうが、弁護士になろうが・・・人生は続いてゆくのである。

 

僕の同級生に、いわゆる「ひきこもり状態」になってる人が何人かいる。

僕らはもう40歳をゆうに超えたおっさんである。

みなさんは信じられないかもしれないが、そんな年齢になっても家でひきこもっている人がいるのだ。

 

彼らはもちろん結婚もしていないし、子どももいない。

幸いにして親も元気で養う財力もある。

でも、それだっていつまで続くかわからない。

 

彼らはずば抜けて成績が良かった。

だから「いい大学」を卒業し、「いい会社」に就職した。

そこまでは良かった。

そこまでは順風満帆な人生を歩んでいた。

 

だが、そこまでだった・・・

 

そこから彼らの人生の歯車は狂いはじめた。

彼らはまともな社会生活が送れなくなり、次第に家にひきこもるようになった。

 

彼らは学校時代にはつまずかなったかもしれないが、社会に出てからつまずいてしまったのだ。

彼らはまわりと上手にコミュニケーションを取ることができなかった。

しだいに誰からも相手にされなくなり、どんどん孤立していった。

 

社会に出てから学校時代の華々しい成績は何の役にも立たなかった。

仕事では「学力」以外のスキルが求められた。

そのまわりからの要望に彼らは応えることができなかった。

 

彼らのつまずきと、マリー・アントワネットのつまずきとのあいだには共通点があるような気がする

 

彼らは決して同年代の僕らと一緒に遊んだりはしなかった。

僕らが公園で泥だらけになって遊んでいるとき、彼らは塾で勉強をしていた。

 

彼らの放課後の過ごし方は僕たちの放課後の過ごし方とまるで違っていた。

彼らの放課後の時間は友だちと遊ぶことに費やされるのではなく、勉強や習い事をすることに費やされた。

 

今にして思えば、もうその時からタネは蒔かれていたような気がする。

 

もしも彼らが僕たちと泥だらけになって遊んでいたら、彼らの人生はだいぶ違ったものになっていたはずだ。

彼らの放課後の時間が勉強をするのではなく、喧嘩をしながらも他者と交わる時間に使われていたら、彼らはひきこもりにならずに済んだかもしれない。

 

彼らには果たして青春というものはあったのだろうか?

彼らには果たして心休まる時間というものはあったのだろうか?

 

僕がここで言ってることは決してテストには出題されないものだ。

でも、とても大切なものだ。

『人生を生きてゆくうえでもっとも大切なもの』と言ってもいいかもしれない。

 

子供の頃、勉強ばかりしていたことによる弊害は何もひきこもりだけじゃない。

みなさんのまわりに「高学歴だけが取り柄のまったく魅力のない大人のヒト」っていないだろうか?

 

アタマはいいのだが、融通が利かない

上から目線で、朝から晩まで偉そうにしている

人と上手にコミュニケーションが取れない

陰湿で、何を考えてるかわからない

やたらと権威主義的

etc・・・

 

____きっとみなさんのまわりにもいるはずだ。

 

そういう人の人生も大変そうだ。

そういう人に会ったら、ぜひ訊いてみてほしい。

 

「子どもの頃、勉強ばかりしてませんでしたか?」

って。

 

学習塾の机に座って問題を解いていれば、他者と喧嘩したりモメたりすることはない。

でも、いろんなニンゲンと交わり、コミュニケーションを取ることによって身につく『社会性』のようなものは問題集を解くことよりも大切なことだと僕は思う。

 

ヒトは人と交わり、そこでいい想いをしたり、嫌な想いをしたりしながらひとつひとつ学び取ってゆく。

だから若いうちはどんどん人とモマれた方がいい。

それでいっぱい困った目に遭ったり、ツライ想いをしたりすればいいのだ。

 

そういった経験は長い目で見れば必ず「良いこと」に繋がってゆく。

それを避けてばかりいたら、もっともっと困ったことになり、もっともっとツライ想いをしなきゃいけないハメになる・・・

 

もしもマリー・アントワネットが苦労を知っていたら、あんな発言はしなかったはずだ。

あんな発言をしなければ、ギロチンで処刑されることもなかったはずだ。

 

みなさんも今、いろいろ困りごとや悩みを抱えているかもしれない。

でも、ぜひそれを『これはとても貴重な経験をしているのだ!』と、前向きに捉えてみてほしい。

 

それはみなさんが成長するために必要なことなのだ。

一つ上のステージへ行かせるために起こったことなのだ。

 

すべてはコインのウラ・オモテなのだ。

 

一見すると悪いことであっても、実はそれが良いことにつながるきっかけになることもあるのだ。

生まれたときから冷暖房完備で、ぬくぬくと純粋培養で育てられたことがかえって不幸を呼び寄せる・・・ということもあるのだ。

 

 

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