サザンオールスターズ『勝手にシンドバッド』伝説! この曲が日本音楽史上に残る”神曲”である理由

2019年3月10日

 

「勝手にシンドバッド」25周年記念BOX -ドーナツ盤ジャケット復刻仕様スペシャルBOX-
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ハウスステーション

 

第69回紅白歌合戦は「平成最後の紅白」という記念すべき紅白だった。

その記念すべき平成最後のステージを締めくくったのは、我らがサザンオールスターズだった!

 

しかも、「希望の轍」に続いて披露されたのが、僕も大好きで、彼らのデビュー曲でもある『勝手にシンドバッド』。

この曲を選曲したセンスね!

「桑田佳祐は相変わらず、冴えてるな」と思った。

 

この曲をはじめて聴いたのは僕が小学校1年生のとき。

あの衝撃はいまでも忘れていない。

 

とにかく、何を言ってるのかよくわからない。

歌詞が聴き取れない。

英語のように聴こえるが、ところどころ日本語が混じってるから、どうも英語の歌でもなさそう。

当時、流行っていたほかの曲とは明らかに違う圧倒的なインパクト。

 

ロックのようでもあり、ロックでもない。

歌謡曲のようでもあり、歌謡曲でもない。

ラテンのようでもあり、ラテンでもない。

コミック・ソングのようでもあり、コミック・ソングでもない。

 

「なんだこれは!?」

それが衝撃的なデビュー曲『勝手にシンドバッド』をはじめて聴いたときの僕の印象だった。

 

それ以来、僕はサザンオールスターズの虜になってしまった。

『サザンオールスターズ応援団』というファン・クラブに入ってたこともある!

 

あれから約40年・・・

サザンオールスターズが平成が終わろうとしているこの時代にもサザンは第一線で活躍している。

そんなこと、あの頃、誰が想像したであろうか!

 

だって(ファンの人には申し訳ないけど)、一発屋の匂いがプンプンしてたもの。

バンドというよりも、どっちかっていうとサザンは「芸人」に近い存在だったと思う。

 

そこで今回は『勝手にシンドバッド』という日本音楽シーンに突如、誕生した奇跡のようなとんでもない曲と、それにまつわるデビュー当時のサザンオールスターズのトリビア&エピソードを紹介してみたいと思う。

 

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ハルキ

小学生の頃からずっとサザンを追いかけてきたので、サザンに関することならお任せあれ!😉

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目次

『勝手にシンドバッド』というタイトルは当時流行っていた沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レディの「渚のシンドバッド」を組み合わせたものだった

これはあまりにも有名なエピソード!

この桑田佳祐のテキトーさというか、いい加減さがすごく「新しい!」って感じがした。

 

「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバッド」はどちらも阿久悠さんの作詞で、桑田は阿久悠さんの元を訪れ、タイトルの使用許可をもらいに行ったという逸話もある。

 

その際に阿久悠さんは「おもしろい!」と言って歓迎したという。

阿久悠という人もなかなかすごい人だよね。

太っ腹だ!

 

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ハルキ

もしもあの時、阿久悠さんに怒られてたら、使用許可がもらえなかったら、日本の音楽シーンはだいぶ変わっていたかもしれないね!😃

 

沢田研二 A面コレクション
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歌詞が聴き取れないことから歌番組ではじめてテロップが出た

これも『勝手にシンドバッド』にまつわる有名エピソードだ。

 

それまでの日本の音楽シーンというのは「歌詞を聴かせる」というのは重要視されていた。

だけど、桑田はフォーク・ソングに代表されるようなそのようなメッセージ性重視の歌詞を嫌い、『ノリ』の方を優先させた。

 

その結果、日本語なのに英語っぽく聴こえる不思議な歌詞が出来上がった。

しかし今度、それが「聴き取れない」という話になり、苦肉の策として番組スタッフはテロップを入れる案を思いつく。

 

今では当たり前の演出だけど、当時は考えられないことだった。

 

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ハルキ

「♪シャイなハートにルージュの色がただ浮かぶ」なんて絶対に聴き取れないよね😅

 

 

デビュー・シングルはすんなり『勝手にシンドバッド』に決まったわけじゃなかった

『勝手にシンドバッド』という曲があまりにもインパクトが強すぎるために、今となっては「これ以外のサザンのデビュー・シングルはありえない!」というカンジだけど、実は『勝手にシンドバッド』がデビュー・シングルに決まるまでには紆余曲折があったらしい。

 

桑田自身は『シンドバッド』でいくべきだと思ってたらしいんだけど、最初は「別れ話は最後に」という曲が第一候補だったとのこと。

 

この曲は『熱い胸さわぎ』というデビュー・アルバムの2曲目に収録されてる。

ライブなどで披露されることが滅多にないので、知らない人も多い曲かもしれない。

 

当時のディレクターの高垣さんという人も『シンドバッド』より「別れ話は最後に」を推してたとのこと。

それで、いろいろすったもんだがあったらしいんだけど、最終的にはアミューズの大里さんという偉い人が出てきて、『シンドバッド』でデビューすることになったらしいよ!

 

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ハルキ

悪い曲だとは言わないけど、『シンドバッド』に比べたら随分、地味な曲だよね〜😅

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桑田佳祐は『勝手にシンドバッド』という曲に執着があった

『勝手にシンドバッド』という曲は当時7曲つくったオリジナル・ソングのうち、5番目にできた曲らしい。

そして、そのオリジナルの中では「一番ウケがいいだろう」と桑田自身も漠然と思っていたとのこと。

 

ただ『勝手にシンドバッド』という曲があそこまで売れるとは桑田自身も夢にも思っていなかったそう。

当時、桑田は『ザ・ベストテン』という番組があることも知らず、「オリコン・チャートで言えば30位あたりまで行けば上々」と考えていたらしい。

 

ユーミンや吉田美奈子もそんなにバカ売れしてたわけじゃないし、ティン・パン・アレイも別にそんなに売れたわけじゃない。

だから自分たちもそのくらいのレベルで、「そこそこ売れればいい」としか考えていなかったんだって。

 

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ハルキ

アーティスティックなカンジでデビューしたかったのに、幸か不幸かまったく逆の路線にいくことになっちゃったんだね😓

 

桑田は『勝手にシンドバッド』を半分シャレ、軽いジョークのつもりでつくった

桑田は当時、「細野晴臣さんみたいな地味でアーティスティックな路線」を標榜し、メンバーもそのつもりだったらしい。

自分たちはエリック・クラプトンとかリトル・フィートといった玄人受けするような音楽を奏でるシブいバンドで、『勝手にシンドバッド』はあくまでもシャレのつもりで出したんだとか。

 

桑田はコミック・ソングのような『勝手にシンドバッド』を出しといて、「実際はリトル・フィートやってるんだよ」というギャップを狙った戦略を練っていたらしい。

確かに『熱い胸さわぎ』というアルバムはレゲェの要素があったり、アメリカ西海岸系の渋めのサザン・ロックな感じの曲が満載だ!

 

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ハルキ

確かにあのアルバムの中で『勝手にシンドバッド』だけが突出して完全に浮きまくってるわ😁

 

ところが幸か不幸か、『勝手にシンドバッド』が桑田やメンバーの予想をはるかに超えて売れてしまい、ベストテンとかテレビ番組に出まくる「お茶の間のバンド」にサザンがなってしまった。

「ディンパン・アレイあたりの玄人受け路線でいこうと思ってたのに、クレイジー・キャッツになっちゃった笑」と、桑田は述べている。

 

でも結果的にはそれで良かったと僕は思う。

 

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ハルキ

もしも「別れ話は最後に」で渋く、地味にデビューしていたら、その後の歴史は大きく変わっていただろうなぁ・・・🤔

 

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デビューのきっかけとなるオーディションで披露した曲は『勝手にシンドバッド』ではなかった

青山学院大学の音楽サークルで結成されたサザンであるが、1977年ヤマハ主催の音楽コンテスト「EastWest」に出場した。

そこでサザンが演奏したのは『勝手にシンドバッド』ではなく、『熱い胸さわぎ』の7曲目に収録されてる「女呼んでブギ」という曲だった。

 

この時、桑田はベスト・ヴォーカリスト賞を受賞。

これがきっかけとなり、レコード会社に声をかけられることになったらしい。

 

ちなみにこの時のヤマハEast West’77ににはシャネルズ(のちのラッツ&スター)も出場していたとのこと。

これが縁で桑田は鈴木雅之と仲良くなったとのこと。

 

ちなみにこの「女呼んでブギ」という曲は途中の歌詞が未完成のままで、桑田はテキトーな言葉を英語っぽく歌っており、そのままの状態でレコーディングされている。

 

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ハルキ

ああ、あの部分ね! 確かに何言ってるかわからない箇所があるわ! この曲もインパクトのある斬新な曲だよね!🎸

 

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桑田佳祐は『勝手にシンドバッド』が「売れる」とはまったく考えていなかった

『勝手にシンドバッド』という曲を桑田がつくったのは1977年。

この曲はアマチュア時代にも歌っていたそう。

 

原型はザ・ピーナッツの「恋のバカンス」みたいなものだったらしい。

アマチュアのロック・バンドの中でもそのような曲をやってるバンドがいなかったので、ライブでもこの曲はそこそこウケてはいたらしい。

 

でも当の桑田本人はこの曲が売れるとはまったく思っていなかったそう。

 

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ハルキ

まあ、自信作ではあったみたいだけどね!😀

 

ザ・ピーナッツ トリビュート・ソングス
キングレコード and ももいろクローバーZ, Little Glee Monster, 植村花菜, 太田裕美, 華原朋美, 島谷ひとみ, 鈴木亜美, 谷山浩子, 中川翔子, 夏川りみ, 平野綾, FUNK THE PEANUTS, 吉田美和, 浦嶋りんこ, 藤本美貴, マルシア, misono, 相田翔子, 百田夏菜子, 玉井詩織, 森口博子, 森高千里, 矢井田瞳, 岩崎宏美, アサヒ, manaka, 石川ひとみ
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『勝手にシンドバッド』をいちばん最初に誉めたのは、もんたよしのりだった

「ダンシング・オール・ナイト」という曲で一世を風靡したもんたよしのりという人、覚えてる?

実はあの人がいちばん最初に『勝手にシンドバッド』という曲を誉めた人だという伝説が残ってる。

 

アマチュア時代のサザンはよく新宿ロフトというライブ・ハウスで演奏していた。

そこにはもう一つバンドが出演していて、それが「もんた&ブラザーズ」だったとのこと!

 

それで『勝手にシンドバッド』を聴いたもんたさんは、「あれは最高にいい曲やぁ」と言って誉めてくれたそう。

桑田はのちのインタビューで「部外者で最初に誉めてくれたのはあの人が最初だった」と語っている。

 

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ハルキ

でも当時の桑田はもんたさんの関西ノリが好きじゃなく、よくシカトしてたらしいよ😆

 

それで「ダンシング・オール・ナイト」が流行ったとき、もんたさんに「おまえ、あん時無視したやろ」って詰められたらしい。

 

 

桑田が『勝手にシンドバッド』をメンバーに持っていったら、最初は「冗談じゃないよ」と嫌がられた

桑田が『勝手にシンドバッド』をつくったのは1977年のこと。

その頃、サザンはエリック・クラプトンとか、ザ・バンドとか、リトル・フィーといった、シブいアメリカ西海岸系のロックを演奏していた。

 

ところが、そこにいきなり桑田がザ・ピーナッツの「恋のバカンス」にインスパイアされたラテン系歌謡曲っぽい『勝手にシンドバッド』を持っていったら、メンバーが嫌がったというエピソードが残っている。

 

桑田は「ロックを歌謡曲のレベルまで引き下げて歌いたい」という願望が強くあったんだって。

それで「マイナー・コードの歌謡曲は一番ラテン系である好色なパターンだから、ちょっとラテンめいたやつを作ろう!」という理由から『勝手にシンドバッド』という曲が誕生したとのこと。

 

でも桑田はこの路線を追求しつづけるつもりはまったくなかったとのこと。

 

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ハルキ

「何でも片手間にやるというのが我々世代の浅くて深い美の追求なんだよね」とインタビューで述べているよ😁

 

461オーシャン・ブールヴァード
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『勝手にシンドバッド』の歌詞にメンバーからもクレームが入った

 

♫ 胸さわぎの腰つき

 

という歌詞の部分にはレコーディングの際にメンバーからもクレームが入ったらしい。

理由は「こんな言葉ないからダメだ!」ということらしい。

 

確かに『胸さわぎ』という言葉と、『腰つき』という言葉を「の」でつなげるのは文法的におかしいかもしれない・・・

でも、だからいいんじゃん!!

 

メンバーは、「♫胸さわぎのムラサキにしよう」とか、「♫胸さわぎのアカツキの方がロックっぽくていい」と桑田を説得したらしい。

桑田はそれらの意見を「冗談じゃねぇ!」と言って突っぱねたらしいよ!

 

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ハルキ

もしもあの部分の歌詞が「胸さわぎの腰つき」じゃなかったら、まったく違う楽曲になっていたよね😂

 

桑田は『勝手にシンドバッド』に対する世間の声にかなり困惑した

『勝手にシンドバッド』という曲はあまりにもインパクトが強すぎたためか、最初はいろんなことを言われたらしい。

なかでも桑田佳祐を驚かせたのは「速射砲のようなボーカリスト」とか「早口だ」といったような世間の声だったそう。

 

「だいじょうぶかよ、とか思ったよ。ビックリしたもんね、俺。だってさ、向こうの曲だったら、たとえばエルトン・ジョンとかいるじゃない。俺はそういう路線いってるだけなのに、早口って言われるんだよ」

インタビューなどでは「早口言葉うまいでしょ?」といったような楽曲とは関係のない質問ばかりされて、うんざりしてたそうだよ。

 

さらには「言葉がハッキリしない」とか「歌詞に脈略がない」「意味がわからない」といったような批判もずいぶんされたみたい・・・

 

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ハルキ

「新しいもの」「斬新なもの」「今までになかったもの」をみんなで寄ってたかって叩くという文化は今にはじまったことじゃないんだね😣

 

『勝手にシンドバッド』は最初から爆発的に売れたわけではなかった

今でこそ泣く子も黙る誰もが知ってる曲になった『勝手にシンドバッド』だけど、発売当時はいきなり売れたわけじゃなかったそう。

 

オリコンに初登場したのは67位という地味なスタート。

しかも翌週にはランクが落ちて、桑田以下メンバーは「ああ、もうダメなのか…」と思ったらしい。

 

でも、『銀座ナウ』というテレビ出演をきっかけに徐々に火がつきはじめ、大爆発したのは伝説の『ザ・ベストテン』のスポットライトでの初登場シーン!

あれで完全にお茶の間に知れ渡るバンドになった。

 

『いとしのエリー』や『チャコの海岸物語』もそうだけど、サザンの代表曲って「徐々に火がついてゆく」という売れ方をするパターンが多いよね。

いきなりガーンと売れないけど、ジワリジワリとヒットチャートを駆け上がってゆくパターンね。

そこがすごい!

 

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ハルキ

KUWATA BANDの『Ban Ban Ban』もジワリジワリとヒットチャートをかけ上がってゆく売れ方をしたよね(最終的にはザ・ベストテン年間1位)😀

 

BAN BAN BAN
ビクターエンタテインメント and KUWATA BAND
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語り草になっているお揃いのジョギングパンツ姿のインパクト!

1978年8月、サザンはついにあの『夜のヒットスタジオ』への出演が決まった。

「歴史が動くときというのはいくつもの偶然が重なる」とよく言われるが、このデビュー間もない時期のサザンにもいくつも偶然が重なり、それがさらに輪になって広がってゆくという相乗効果を生み出した。

 

このときのサザンの面々ははじめて『ジョギングパンツ姿』で登場した。

 

なぜジョギングパンツだったのかというと、「何か揃いの衣装を決めよう」という話になり、原坊が原宿をブラブラ歩いていたとき、たまたまあるお店にジョギングパンツが大量にぶらさがっていたことを目にしたからというもの。

原坊はこのとき、「あっ、これいい! これなら全部おそろいにできるし、安いし!」と思ったという。

 

当時は事務所もサザンにお金をかけらず、衣装代に経費をかけれなかったのだ。

しかし、シューズ代にはお金を出してもらえず、半分は自腹で払ったという。

 

ところがこのジョギングパンツ姿で『夜のヒットスタジオ』にはじめて出演したら、これが世間の大注目を集めちゃった!

確かにあのジョギパン姿はものすごいインパクトがあるよね。

 

当時、あんな格好でテレビに出てくる人なんていなかったもん。

 

ましてやロック・バンドであんな格好しないでしょ、普通?

そのギャップとインパクトがとにかく世間の度肝を抜いた。

 

でもそういうのも本人たちがまったく意図していなかったといところがおもしろいよね。

『天然』というか、何というか・・・

考えてみたら、そういう「本人たちがまったく意図してなかったけど〇〇」って話はビートルズにもいっぱいあるよね。

 

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ハルキ

やっぱり歴史が動くときっていうのは、本人たちのパワー以外にも何かしら不思議なパワーが宿るものなのかもしれないなぁ・・・

 

伝説の『夜のヒットスタジオ』初出演パフォーマンスについて

原坊が原宿で偶然見つけたジョギング・パンツ。

サザンはそのジョギング・パンツをはいて当時、お茶の間で愛されていた『夜ヒット』に出演した。

 

もちろん、そんな姿で『夜ヒット』に登場する人間(ましてや、ロック・バンドで!)なんていないから、それだけでかなり浮きまくっていた。

加えて、この日のサザンにはいくつかの『偶然』が重なった。

 

1978年8月、たまたまリオのカーニバルの面々がブラジルから来日しており、急遽『勝手にシンドバッド』のパフォーマンスのときに共演することになったのだ。

そのスタジオの空気を変える異様なテンションによるラテン・ノリのパフォーマンスは、観る人へ強烈なインパクトを与えた。

 

さらに、『シンドバッド』は歌詞が聞き取りにくいために、『夜ヒット』ではじめて日本人アーティストなのに画面の下にテロップが入った。

これはこの長寿番組はじまって以来のことであるのはもちろんのこと、歌番組では前代未聞の出来事だった。

 

今は画面の下に歌詞が入ることは何も珍しいことではないだろう。

しかし当時はたいへん珍しいことだったのだ。

 

とにかくこの『夜ヒット』初出演のパフォーマンスは大きな反響を呼び、サザンと『勝手にシンドバッド』は一気に世間に知れ渡ることになった。

売り上げもそれまで300枚しか売れていなかったのに、翌日一気に4,000枚に跳ね上がったという。

 

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ハルキ

そして、この勢いのままもう一つの伝説の『ザ・ベストテン』初登場パフォーマンスへなだれ込んでいき、一気に大爆発を起こすんだね!🤗

 

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伝説の『ザ・ベストテン』のスポットライトでのエピソードについて

これはもうあまりにも有名な伝説のエピソード。

日本の音楽の歴史が変わった瞬間の、『記念すべき日』とも言えると思う。

 

サザンオールスターズというバンド、および『勝手にシンドバッド』という楽曲が日本国民に知れ渡るきっかけになった伝説の初登場の話だ。

もしもあの時、スポットライトのコーナーでサザンが取り上げられていなかったら、日本の音楽シーンは間違いなく今とは違うものになっていたと思う。

 

それくらい重要な「ザ・ベストテン」初登場シーンだった。

 

1978年8月31日。

サザンがアマチュア時代によくライブをやってたライブ・ハウス、新宿ロフトからの中継だった。

 

画面に登場した瞬間の会場の異様な熱気が凄かった!

メンバーを囲むようにぎっしりと詰まった窒息しそうなほどの狭い空間。

メンバーはジョギング用の短パン姿。

桑田佳祐は上半身裸で汗だく。

 

異常なほどのハイ・テンションと、「何かが起こりそう」な空気がビンビンに漂っていた。

そして、司会の黒柳徹子が「あなたたちはアーティストになりたいのですか?」の問いかけに答えた桑田佳祐の歴史的名言・・・

 

いいえ、目立ちたがり屋の芸人で〜す!!!

 

そして、久米宏や黒柳徹子が曲紹介をしている最中だというのに突然「♪ラーラララララ、ラララ〜」と歌い出したのだ!!

すべてが完璧だった。

まるでサザンオールスターズという日本の音楽シーンを変える存在のために用意された舞台のようだった。

 

だが、実はあのまわりにいた観客たちはみんな「サクラ」だったそう!!

これも有名な話だ。

 

実はあそこに集っていたのはサザンのファンではなく、キャンディーズやあいざき進也のファンとかだったらしい。

事務所がツテを頼って無理やり声をかけ、キャンディーズのファン・クラブに話をつけたんだって。

 

しかも本番前はまったく盛り上がっておらず、シーンとしていたんだって。

 

そこで「これはマズイ・・・」と思った桑田やメンバーは、お酒を買ってきて、紙コップをみんなに渡して「よろしく〜♪」なんて言ってお酒をついでまわったとのこと。

そうやって酒の力を借りて無理やり盛り上げ、会場のボルテージが最高潮に達したまさにそのタイミングにポーン!と中継が入ったんだって。

そのことについて桑田佳祐はインタビューでこう答えているよ。

 

あれは酒をついで無理やり盛り上がってるところを演出したんだ笑

「えー、この曲のこの部分には、”胸さわぎの腰つき”という歌詞がありますので、よろしく御唱和ください」とか言って・・・

『ベストテン』で「今ライブハウスで盛り上がってるバンドがある」「今、東京で新たなムーブメントが起こってる」みたいな紹介のされ方したけど、あれ、全部ウソなんだよね笑

誰も知らないんだから、俺たちのことなんて。

新宿ロフトには学生時代からよく出てたけどさぁ、客なんて入ったためしがないんだから笑

でも、あの中継は大成功だったね!!

 

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ハルキ

国民的バンドが誕生するきっかけとなった歴史的な日のウラ側には、こんなおもしろエピソードがあったんだね! ある意味、すごいわ・・・😆

 

ザ・ベストテン スポットライト編
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ザ・ベストテン 1978-1979
ソニーミュージックエンタテインメント and オムニバス, 世良公則&ツイスト, 松山千春, アリス, 甲斐バンド, 西城秀樹, ジュディ・オング, 岸田智史, 水谷豊, ゴダイゴ, さだまさし
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『勝手にシンドバッド』が売れに売れてたとき、サザンは解散寸前だった!?

ザ・ベストテンで火がつき、自分たちの想像以上に『勝手にシンドバッド』が売れはじめたことによってサザンは空中分解する寸前だったらしい。

とにかく毎日毎日テレビに、ラジオに、雑誌のインタビューに、etc・・・といった『ザ・芸能界』な世界。

 

今まで青学の学生だった彼らにしてみたら、そりゃ、いろいろと戸惑うこともあったと思う。

桑田自身もドリフトと一緒にコントをやったりしながらも、「オレはミュージシャンじゃないのか?」といつも自問自答していたらしい。

 

自分たちの中にコミカルな要素があるのは認めてはいたが、完全に扱いはコミック・バンド。

本当は細野晴臣さんのようにシブくデビューしようと思っていたのに、そのあまりのギャップに相当、苦しんだそう。

 

しだいに煮詰まってきて、メンバーのあいだの人間関係もギクシャクしだして・・・

僕らはそんなふうになってるなんて知りもしないから、ブラウン管を通じてお茶の間でバカをやってるサザンをただ観てただけ。

 

よく桑田は『勝手にシンドバッド』の後半にラテンっぽい言葉を言って盛り上げるのだが、その中で「ノイローゼ」「ノイローゼ」と言ってたこともあった。

それはあながちウソでもなく、本当にノイローゼになりそうだったんだって。

 

そんなに追い詰められていたなんてまったく知らなかった・・・

 

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ハルキ

『シンドバッド』の最後に口にするラテンっぽい言葉は他には「スパゲッティ・ナポリターナ」とか「アミーゴ・ジ・アミーゴ」とかいろいろテキトーな言葉言ってたよね😁

 

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桑田佳祐はドリフターズに入っていたかもしれない!?

これも有名な話なのだが、桑田佳祐はドリフターズのいかりや長介から「ドリフターズに入る気はないか?」と真剣に口説かれていたというのである!

 

『勝手にシンドバッド』が火がつき、桑田やサザンのメンバーはテレビに出ずっぱりの日々を送っていた。

そんなとき、当時「お化け番組」と呼ばれていた『8時だよ、全員集合!』に出演し、桑田は歌以外にもコントなどにも挑戦した。

 

その姿を見たいかりや長介が「こいつはお笑いの才能がある」と直感的に思ったというのである。

 

当時、ギターを担当していた高木ブーは、お笑い色の強くなってきたドリフの方向性に疑問を感じ、「ドリフを脱退したい」と考えていたらしい。

その頃、荒井注が脱退し、加藤茶の付き人をやっていた志村けんがドリフに加入。

より一層、お笑い色が強まった・・・

 

ドリフターズというのは(知らない人も多いかもしれないが)、元々は音楽を演奏するプロのバンドだったのだ。

そして高木ブーはお笑いなんかやる気はなく、音楽をやるためにドリフに入った。

だからお笑い色をますます強めるドリフからの脱退を真剣に考えていたのだ。

 

そこで悩みに悩んだいかりや長介が白羽の矢を立てたのが桑田佳祐だったと言われている。

桑田はギターも弾ける。

音楽とお笑いの両方ができるというドリフのコンセプトにもピッタリとはまる。

「彼だったら高木ブーの抜けた穴を埋められるかもしれない…」と真剣に考えたのだろう。

 

もちろん桑田はこのいかりや長介からの誘いを丁重に断ったらしいが、それにしても、すごい話だよなぁ!

 

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ハルキ

もしも桑田さんがドリフに加入していたら、その後の日本の音楽シーン、ならびに日本のお笑いの歴史は大きく変わっていただろうね🤗

 

 

 

賛否両論が渦巻く中、近田春夫は『勝手にシンドバッド』を絶賛した

「何を歌ってるのかわからない」という理由で賛否両論を巻き起こした『勝手にシンドバッド』。

ロック界からも、歌謡界からも、バッシングを受けていたとき、1978年10月号の「ニューミュージック・マガジン」で近田春夫はこんな風に述べている。

 

はっきり言って、私はひがんでいるのよね。

チャーや、原田(原田真二のこと)や、世良(世良公則のこと)が売れるなら話は解るのですよ。

みんな3人とも可愛い顔してるしさ。

顔が悪いのに売れるなんてことがあるのかしら。

何かの間違い以外で。

でも桑田の作品は、詞とメロディが同時進行で作られてるとしか考えられない面がある。

これはね、天才的な作業ですよ。

 

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小室等も大絶賛した

 

サザンオールスターズ。

あれはもう、僕はメチャクチャにおもしろいと思ってるんです。

それで根掘り葉掘り見てるとあんまりメチャクチャじゃなかったりするんですよ。

だけど聴いてるとホントに支離滅裂で、どうでもいい!って感じに聴こえてくるんでう。

画一された言葉の使い方を学び出すと、「いま何時、そうね大体ね」というフレーズは出て来ないよね、普通。

 

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吉田拓郎も・・・

 

サザンの桑田が気になるね。

奴はオレのライバルだよ。

ニューミュージックの他の連中はみんな予測がついたけど、桑田だけは予測のつかないところから出てきたからね。

あのドライブ感とスピード感。

それとあいつの自由奔放さ。

これは予測がつかんね。

他の連中はみんな陽水の真似か、それふう・・・

とにかく、桑田のセンスは目を見晴らせるね。

 

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井上陽水も・・・

 

サザンは面白いと思うよ。

何を言っているかよくわかんないけど、それなりに感じるからね。

サザンはオレに近いといえば近いかな。

あれもかなり無思想だからね。

メッセージなんかもないしね。

 

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音楽評論家の富澤一誠先生のサザン評がおもしろい!

 

サザンオールスターズは、昭和58年3月6日に『勝手にシンドバッド』でデビューした。

 

“いま何時 そうね大体ね”

 

ハチャメチャな日本語を独特の早口でうたって、彼らはすい星のように登場してきた。

ジョギング・パンツにランニング・ウェア姿で、積極的にテレビ出演し、落ちても落ちてもめげることなく歌謡賞の新人賞にチャレンジしたり、桑田はバラエティー番組にまで出てギャグやコントまでこなした。

そんな彼らを見て、ぼくは眉をひそめたものだ。

なぜなら、その頃は、吉田拓郎、井上陽水が築き上げてきたニューミュージックの硬派の時代が続いており、アンチ歌謡曲、アンチ・テレビという戦略が生きていたからだ。

ニューミュージック畑からデビューしたはずの彼らが、その常識を破ってしまった。

なんて軽い奴らだと思ったものだ。

 

あの頃、この歌、甦る最強伝説
富澤 一誠
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音楽評論家のスージー鈴木氏も絶賛

音楽評論家のスージー氏は桑田佳祐および『勝手にシンドバッド』という楽曲の素晴らしさについて「日本語のロックを確立させた」と分析している。

 

当時は『日本語はロックに乗らないから、日本語のロックはダメだ』と思われていた。

だから吉田拓郎や井上陽水のようなフォークがブームになり、「歌詞を聞かせるメッセージ性」の方が重要視されていた。

ところが『勝手にシンドバッド』はその既成概念をぶち破ってしまったのだ。

 

今でこそ日本語でロックを歌うということは当たり前になってしまったが、当時は「相容れないもの」と捉えられていた。

もちろん、日本にはロック・バンドやロック・ミュージシャンはいたのだが、それはごく一部のマニアのあいだだけで愛されていただけで、お茶の間レベルで商業的な成功はほぼゼロの状態だった。

 

その垣根を『勝手にシンドバッド』は一瞬で乗り越えてしまったのである!

 

ご存知のとおり、『勝手にシンドバッド』は大ヒットを記録し、結局50万枚のセールスを記録する。

スージ氏は桑田佳祐の歌い方にも注目し、「あの独特の声とボーカルスタイルはエリック・クラプトンやローウェル・ジョージといった洋楽からの影響と、宇崎竜童や柳ジョージ、そして矢沢永吉といった邦楽からの影響の両方がハイブリットされたもの」と分析している。

 

また、桑田がよくモノマネをするテンプターズのショーケンからの影響を大きいと言われている。

 

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ハルキ

今でこそ当たり前になった日本語を英語っぽく聴こえるように歌うボーカル・スタイルは、『勝手にシンドバッド』が原点だったんだね😉

 

『今何時!』という言葉は当時、流行語になった

一度耳にしたら誰もが忘れない、『勝手にシンドバッド』のサビの部分に登場する歌詞、「今何時?」。

今でもそのインパクトは色あせていないけど、当時も大きな話題になった。

 

Aメロの歌詞とはまったく何の脈略もないのに、いきなり「今、何時?」というまったく関係のない言葉が登場する斬新さ。

この画期的な歌詞の構成は、当時の国民に強烈なインパクトを残した。

 

サザンがデビューした1978年頃の日本経済は、ちょうどバブルに向かってグーッと上昇していこうとしていた矢先の時期。

円相場は過去最高を記録し、一気に黒字化が加速した。

いわゆる高度経済成長の真っ只中だったのだ。

 

それまでの日本の音楽シーンは、石油ショックなどの影響もあり、フォークやブルースを基調とした歌謡曲といった暗い音楽ばかりがあふれていた。

そんな暗いムードを打ち破り、C調ノリの『勝手にシンドバッド』のような歌が人々のあいだに浸透していった。

 

それはもしかしたら、必然だったのかもしれない。

人々は無意識のうちに『ノリ』のようなものを求めていたのかもしれない。

そして、その空気が空前絶後のバブルをつくり出してゆくことになる!

 

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ハルキ

むかしは『新語・流行語大賞』なんてものはなかったけど、もしあったら絶対、受賞していただろうなぁ😄

 

 

『勝手にシンドバッド』は25年の歳月を経てチャート1位を獲得した

『勝手にシンドバッド』はオリジナルシングル発売から25年目を記念して再発盤が発売された。

なんとその時、『シンドバッド』はオリコン週間ランキングで1位を獲得している!

 

1978年にオリジナル盤が発売されたときはオリコン・チャートで3位が最高位だった。

25年の歳月を経て同じ楽曲がオリコンチャートで1位を獲得するというのは前代未聞のこと。

 

再発盤は29.1万枚(オリコン調べ)も売れたというからスゴイ!

オリジナル盤の売れた枚数を加えると、累計80万枚以上が売れたことになる。

 

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ハルキ

スゴイね! 僕もこれ、持ってる。特別なボックス型のパッケージになっているんだよね😉

 

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まとめ

いかがでしたか!

僕が日本音楽史上、もっとも重要な曲であり、もっともユニークな曲であり、もっともラジカルな曲だと思う『勝手にシンドバッド』と、この曲にまつわるデビュー当時のサザンオールスターズについてまとめてみました。

 

『勝手にシンドバッド』はとにかく神曲です!

 

そして、その神曲が記念すべき平成最後の紅白歌合戦を締めくくったという事実は、サザン・ファンの僕としては感慨深いものがありましたね。

 

しかも、その舞台の中心にサザンオールスターズとユーミンという昭和〜平成にかけてもっとも重要な二人の天才がいたということ。

偶然とはいえ、それはまさに「歴史的な瞬間」だったといえる。

 

二人とも音楽性やアプローチはまったく違うけど、それぞれのやり方でサヴァイヴし、第一線で活躍し続けてきたんだよね・・・

それは本当にすごいことだと思う。

 

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ハルキ

今後とも『勝手にシンドバッド』やサザンオールスターズに関する情報を随時、更新していきたいと思っているので、乞うご期待!!😀

 

僕が選ぶ! サザンオールスターズの好きな曲10選

 

「勝手にシンドバッド」25周年記念BOX -ドーナツ盤ジャケット復刻仕様スペシャルBOX-
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ミス・ブランニュー・デイ
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チャコの海岸物語
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メロディ
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いとしのエリー
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マンピーのG★SPOT
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希望の轍
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みんなのうた
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ECJOY!ブックス

 

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ハルキ

こうして見ると80年代の楽曲が多いね! KUWATA BANDや桑田佳祐のソロの楽曲も含めると、そのほとんどが80年代になっちゃう。特に84,85,86,87くらいの桑田のつくる楽曲はどれも神がかっていたよ!😀

 

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