【今すぐ人生を改善できる!】僕が「頑張れば頑張るほど損をする」と思うに至った理由について
自由気ままに好きなことだけやって生きていけたら、どんなに幸せだろう・・・
そんなふうに思いながら仕事をしているサラリーマンの方も多いのではないだろうか。
僕もついこないだまでそのようなことを考えながら会社のために懸命に働いていた。
だからそう思う人の気持ちがよくわかるのだ。
世の中をよく見渡して見ると、自由気ままに好き勝手に生きてる人というのは結構いるものだ。
僕は不動産会社に勤めていたので、自由に生きてる大家さんと何人も接してきた。
そしてそのたびに「この人たち、いったいなんでこんなに自由に生きられるんだろう・・・?」と不思議に思ったものだ。
もちろん自由に生きることだけが素晴らしい生き方というわけではない。
会社のために一生懸命、仕事をすることだってすごく立派な生き方だ。
「仕事が好き!」「仕事が生きがい!」という人もたくさんいるだろう。
たとえ自由に生きることができる選択肢が目の前にあったとしても、そっちを選ばずに会社のために仕事をする方を選ぶ人も大勢いることだろう。
そういう人たちが間違っているわけでは決してない。
僕はそういう人の生き方を否定するつもりは毛頭ない。
しかし世の中には仕事のことで悩み、苦しんでるサラリーマンというのも大勢いるのだ。
いろんなことを我慢し、そのせいで心身ともに弱ってしまってるサラリーマンも大勢いるのだ。
いわゆる「ブラック企業」と呼ばれる会社に就職してしまい、にっちもさっちもいかない状況に追い込まれているサラリーマン。毎日、満員電車に揺られ、「オレは家族を養うためのATMなのか・・・」というジレンマを抱えているサラリーマン。
そういう人に「仕事を好きになれ!」「仕事にもっと生きがいを感じろ!」と言ってもダメなのではないだろうか。
頑張っても頑張っても報われない現実
僕もサラリーマン時代には随分と仕事のことで悩んだものだ。
仕事のストレスが原因で、心身のバランスを崩し、立っていられないほどのめまいに恐れたこともある。
そして這うようにして訪れた心療内科で、僕は『自律神経失調症』と診断された。
それでも僕は我慢して仕事を続けた。
あの頃の僕には『自由気ままに』『わがままに』『自分勝手に』なんて選択肢はなかった。
そんなことはまったく考えられないことだった。
絶対に許されないことだった。
一瞬だけ頭をよぎることはあっても、すぐさま「そんなの非現実なことさ!」というもう一人の僕が登場し、それを打ち砕いた。
僕はがむしゃらに頑張った。
しかし、頑張っても頑張っても報われない現実がそこにあった。
いろんなことを我慢しても、現実は一向に良くならなかった。
むしろ僕よりも不真面目なヤツ・いい加減なヤツの方が社内で評価された。
僕よりも調子が良くて、わがままで、無責任なヤツの方が出世していった。
おかしいじゃないか!
なんでこんなに一生懸命やってるオレより、あんなヤツの方が評価が高いんだ!
当然、僕はそんなふうに思った。
でも、いくら僕がそう思ったところで現実は変わらなかった。
現実はあまりにも残酷だった。
会社員時代の僕は毎日モヤモヤした気分で過ごしていたような気がする。
いつもイライラしてばかりいたような気がする。
まわりに不機嫌を撒き散らし、さらに自分を追い込んでいたような気がする。
僕は自分なりに精いっぱい頑張った。
そして、さらに頑張ろうとした。頑張ることでしか自分を表現することができなかった。
がむしゃらに働くことしか当時の僕にできることはなかった。
それしか武器を持ち合わせていなかった。
今にして思えば、それが良くなかった・・・
それはすべて逆効果だった・・・
もっとニコニコ笑顔で過ごし、会社の仲間たちと和気藹々とやっていれば良かった。
もっと肩の力を抜いて、ラクに仕事をしていれば良かった。
お金というのは頑張らないと手に入らないものなのか?
今、僕がアパートの大家さんとなり、不労所得を得るという道に進んだのはきっとあの頃の『反動』もあるのだと思う。
「もう二度とあんな想いはしたくない!」と僕は思っている。
そもそも僕が不動産投資や不動産賃貸業といったものに興味を持つようになったのも、この『頑張る・頑張らない問題』だった。
僕は長いあいだ不動産会社の営業をやってきたのだが、不動産会社の営業というのはノルマのある厳しい仕事だった。
当然、『歩合制』だった。
歩合制ということは頑張ったやつはいい想いができる(報酬が高い)けど、頑張れなかったやつはいい想いができない(報酬が低い)ということだ。
僕は頑張って働いた。
頑張って頑張って少しでも多く歩合を稼ごうとした。
しかし、この歩合制(=頑張ればお金が入ってくる)という価値観は気をつけなければいけないのだ。
あまりどっぷりこの価値観に染まってしまうと、『お金というのは頑張らないと手に入らないものなのだ』という考え方をするようになってしまう。
この考えがくせ者なのだ!
日本人は他の諸外国に比べて「勤勉であること」に過剰に価値を置くところがある。
だからフランスやスペインのようにランチに2時間も3時間もかける「シエスタ」なんてことは絶対に日本では根付かないのだ。
でもよく考えたらコレはおかしい。
なぜ僕たち日本人がシエスタをやってはいけないのだろう?
僕たちがランチに2時間も3時間もかけてはいけない理由はどこにあるのだろうか?
シエスタを楽しめる人生こそが本当の豊かさ
シエスタを楽しむことができるってことは、それだけ『余裕がある』ってことだ。
そんなに焦ってセカセカしなくても、経済はまわってるということだ。
それだけ生産性の高い仕事をしているのだ。
それだけラクにお金を稼いでいるのだ。
なぜ僕たちがそれをやっちゃいけないのだろう?!
頑張った分だけお金がもらえるということは「頑張った分しかお金がもらえない」ということだ。
それはつまりこういうことだ。
『頑張らないと、お金がもらえない』。
この考えに縛られてる限り、生産性が上がることはないだろう。
長期間労働の問題も解決しないし、うつ病や自殺の問題も解決することはないだろう。
そういう考えに囚われて、にっちもさっちもいかない状況に追い込まれてる人ってかなりたくさんいる。
そして心身ともに健康を害しちゃう人ってすごく多い。
不動産会社の営業マンをやってたときの僕も完全にこの価値観に支配されていた。
だから自律神経失調症になっちゃった・・・でもある時、ニコニコ機嫌のいい大家さん連中を見て「はっ!」と気づいた。
『頑張らなくても、お金って入ってくるんじゃね?』って。
『オレは毎日こんなに汗水垂らしてノルマに追われて頑張ってるのに、なんでこの人たちこんなに自由で豊かで楽しそうなんだろう?』って。
不労所得をもらう側にまわることを考えよう
僕たちは子供の頃から親や学校の先生から『頑張らなきゃお金が入ってこない』と教え込まれてきた。
でも世の中には頑張らなくてもお金が入ってきてる人ってゴマンといる。
Amazonの創業者・ジェフ・ベゾスより長くAmazonの倉庫で働いてる人ってきっといると思う。
お医者さんと結婚し、毎日お紅茶を飲んでるマダムも汗水垂らして働いてるわけじゃない。
世の中には『不労所得』ってものがあるのだ!
それが現実なのだ。
それが世の中というものなのだ。
僕たちはその事実を受け入れなければならないのだ!
それを「ズルイ」「卑怯だ」「許せない」と言っても始まらない。
その世の中の不条理を嘆き、怒っていても人生はちっとも好転しない。
重要なことは、自分がそっちの側にまわることなのだ!
自分が不労所得をもらう側にまわるのだ。
自分が「ズルイ」「卑怯だ」「許せない」と人から言われる側にまわるのだ。
そうすればすべての問題が解決に向かい、人生が改善されるのだ!
▼ 仕事に関してこちらでも記事にしていますので、ぜひ見ていってくださ~い♪
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