【それ全部、通過儀礼だから!】 しんどいサラリーマン人生を乗り越える方法、教えます。

2020年11月16日

もうすぐ5月。入社式から1ヶ月が経過し、そろそろ新入社員のみなさんからため息が聞こえてくる頃だ。きっとみなさんは今、理想と現実のあまりの違いに苦しんでいる真っ最中だろう。

その気持ちはよくわかる! 僕はもう40歳をゆうに超えたおじさんだけど、新社会人として社会に飛び出していった頃のことは今でも憶えている。

 

「フレッシャーズ」なんて呼ばれて、ちょっとチヤホヤされ、意気揚々と社会に飛び出していったまでは良かった。ところが現実の社会は想像していたものとは全然違うものだった・・・そこはフレッシャーズという言葉とは真逆の世界だった。全然、爽やかなものでも、軽やかなものでもなかった。

会社の上司からは怒鳴られっぱなし。会社のお局さんからは嫌なことを言われ、おまけにノルマはキツく、給料は安く、休みは少なく、残業は多く、etc・・・でも、それが社会に出て働くということなのだ。

それがサラリーマンになるということなのだ。

 

そんなこんなで、まず入社1ヶ月目に現実を目の当たりにして、ウンザリする。3ヶ月後はもっとヒドくなる。1年後はもっともっとヒドくなる。そして、だいたい3年目くらいでそのウンザリした気持ちがピークに達し、「もう限界だ・・・」ということになる。

だから入社3年で会社を辞める若者が多いのだ。

人生で起こる苦しいことはすべて通過儀礼

僕は彼らの気持ちが痛いほどよく分かる。僕自身は3年で会社を辞めはしなかったが、それはたまたま運が良かっただけの話だ。それ以外の何ものでもない。

別に僕が偉いわけでも、我慢強いわけでも何でもない。ただ単に他の会社に転職するだけのエネルギーと能力がなかっただけだ。

 

ただ、そんな僕でも今の若者を見ていて思うことがまったくないわけではない。『草食系』だとか、『ゆとり』だとかといったようなくだらないことを言うつもりはまったくない。

そういった類の言葉は僕も散々、まわりの大人たちから浴びせられてきた。そして、散々嫌な想いをしてきた。だから、僕は若者たちに対しては極力、そういうことは言いたくない。

 

ただ、ちょっと発想を変えて、世の中を違った角度から見てみるって、スゴく大事だことだよ!ということだけは伝えたい。

僕は若者たちに『通過儀礼』の話をしたいと思う! 通過儀礼とは別名「イニシエーション」とも呼ばれたりしているものだ。最初に断っておくが、宗教の話ではない。通過儀礼とは文化人類学の分野のもの。

 

成人になったり、結婚したり、子どもが生まれたり、etc・・・そのような人間の成長過程で行われる儀礼のことだ。原住民の人たちもこれを非常に大切にしているし、映画なんかでもよく取り上げられている。『ライオン・キング』も、『スター・ウォーズ』も、『300スリー・ハンドレッド』も、『セッション]も言ってみれば通過儀礼についての映画だ。

主人公たちは映画の中で必ずとんでもない試練に遭遇する。そして彼らはその試練を乗り越えることによって、だんだん大人へと成長してゆく。それは大人になるために必ず通過しなければならないものなのだ。

 

そこを乗り越えなければ、『次の段階(フェーズ)』に進むことができないのだ。  

 

自分に合った仕事なんてものは幻想だ

年齢を重ねることは誰でもできる。世間的に「大人」と呼ばれる年齢に達することは誰でもできる。しかし、それは本当の大人になることではない。本当の大人になるためにはやっぱり通過儀礼というものを経験しなければならないのだ。

ライオンは自分の子どもを谷に突き落とし、自らの力で登ってきた子のみを可愛がるという。僕たちも一度、谷底に突き落とされるような経験をしなければならないのである。それこそが通過儀礼だ!

 

40代半ばにして人生に行き詰まってしまった僕の友人たち。彼らの親はみんなお金持ちだった。金持ちで、彼らを甘やかせて育てていた。決して彼らを谷底に突き落としたりはしなかった。

これは僕の想像なのだが、彼らがはじめて世間の荒波に揉まれたとき、真っ先に助け船を出したのは彼らの親だったのではないだろうか。彼らの親は自分の子どもがのたうち回っている姿を見るのが忍びなかったのではないだろうか。可愛い我が子が苦しみ、傷ついてゆく姿を見るのが耐えられなかったのではないだろうか。

しかし、その助け舟が結果的に彼らをもっと苦しめることになるのだ・・・

 

新入社員のみなさんは今、社会の洗礼を受けてる真っ最中のことだろう。先輩は厳しく、仕事はつまらなく、まわりにいる人間たちも魅力的ではなく、「こんなはずじゃなかった・・・」という絶望感に包まれてることだろう。

しかし、それは通過儀礼なのだ。そこを通過しなければ、みなさんは大きく成長することはできないのだ。みなさんは谷底に突き落とされたライオンの子供なのだ。這い上がってゆくか、諦めて一生谷底で暮らすかを決めるのは、みなさん自身だ。

 

はっきり言って、世の中というのはみなさんが思ってるほど美しいものでも、キレイなものでもない。申し訳ないけど、『自分に合った仕事』なんてものは、幻想だ! 社会はそのようなシステムにはなっていない。

僕は会社の経営者の端くれだから、そのことはよくわかる。仕事というのはみなさんのために存在しているのではない。会社というのはみなさんに給料を渡すためのATMではない。そこを誤解をしないでいただきたい。

 

みなさんのために仕事があるのではない。みなさんのために会社があるのではない。

サラリーマンというのは、そういう立場なのである。労働者とは、そういう立場なのである。資本主義社会で労働者になるというのは、そういうことなのである。

 

仕事の悩みから解放されたければ経営者の側にまわるしかない

だから、時には苦汁を嘗めることも経験しなければならないのである。ツライ想いも、悔しい想いもしなければならないのである。

「なんでオレがこんなことをやらなきゃならないんだよ!」と思うようなことも。「こんなことをやるためにこの会社に入社したわけじゃない!」と思うようなことも。それやこれや全部まとめて『通過儀礼』なのだ!

 

その境遇が気に入らないんだったら、会社に雇われる側ではなく、誰かを雇い入れる側にまわるしかない。労働者ではなく、経営者になるしかない!

でも、そこには希望も用意されている。いちばんの希望は『学び』だ。みなさんは上司に怒鳴られ、人間関係に悩み、ノルマの達成に悪戦苦闘しながら、実はひとつひとつ学んでいっているのだ。

 

何を学んでいるのか? 『世の中』を学んでいるのだ! 『社会』を学んでいるのだ!

みなさんはまだ「学んでる」という実感はないかもしれない。しかし、みなさんは確実に何かを学んでいっている。その学びを放棄して、家に戻って、パパやママに頭を撫で撫でしてもらいたいというのなら、僕は止めはしない。すぐさま辞表を提出し、冷暖房完備のおうちに戻ればいい!

パパやママは優しくみなさんを迎え入れてくれるはずだ。そういう人生もいいだろう。だが、それは通過儀礼を拒否したことになる。通過儀礼を経なかったツケは、必ず20年後30年後に払わされることになる・・・

 

自慢じゃないけど、僕も散々、社会でモマれた。上司には毎日こっぴどく怒られ、ノルマを達成するのに四苦八苦した。職場の人間関係も最悪だったし、お局さんには毎日嫌味を言われた。365日のうち300日くらいは「チクショー! こんな会社、辞めてやる!!」と思って仕事をしていた。

それでも僕は「あれを経験できて良かった!」と今は思っている。「あの頃の悪戦苦闘の日々が僕を成長させてくれたのだ!」と今は思っている。実に不思議な話だけど。

 

結局のところ、あの日々は僕にとっての修行の期間だったのだ。あの時、冷暖房完備の部屋に戻って、パパやママになぐさめてもらっていたら、今の僕はなかった。

苦悩している新社会人のみなさんにはぜひ、そのことだけは伝えておきたい! 決めるのはキミたち自身だ!!