【悩めるサラリーマンにおすすめ】 将来不安を解消したい人がまず取り組むべきコトとは?
いい会社に入って、いい給料とボーナスをもらい、定年まで真面目に勤めることが人生の成功者だ! 以前、僕はそのように考えていた。だから大学を卒業した僕は髪を切り、スーツに着替え、ネクタイをしめて社会に飛び出していった。
そこから先は仕事、仕事の毎日・・・それ自体は決して悪いことではなかったと思う。社会に出てがむしゃらに働いた経験は間違いなく僕を成長させてくれた。それは決して無駄ではなかったと思う。
その経験を通じて僕は社会についていろいろ学ぶことができた。もしもそういった経験を積むことができなかったら、僕は成功を手に入れらなかったはずだ。
しかしながら、「学びの場」というのはいつか卒業しなければならないもの。そこはずっと留まっていてはいけない場所なのだ。僕は自分で自分に卒業証書を書いた。38歳の頃の話だ。
僕はそれまで勤めていた会社を辞め、自分で稼いで暮らしてゆく道を選択したのだ。もしもあの時、あの決断をしなかったのならば、僕は今でもサラリーマンをしていたことだろう。
恐らくあれが僕がこのような道を選択できる最後のタイミングだった。あの機を逃していたら、恐らく僕はサラリーマンとして一生を終えていたはずだ。ということは今のような自由もハッピーも精神的に安らぎも豊かさも手に入れることはできなかったということだ。
そう考えると、ちょっとだけゾッとする・・・
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お金を得るということは「サラリーマンになる」ということではない
子どもの頃、僕のまわりにいた大人たちは誰一人として僕がチョイスしたような道を勧める人はいなかった。
勉強しろ、就職しろ、いい職業に就け、いい会社に入れ、福利厚生のしっかりしたところで働け、年収の高い仕事をしろ、大きな会社の従業員になれ、真面目に一生懸命働け、定年まで勤め上げて、退職金もたくさん受け取れ、etc・・・
僕のまわりにいた大人たちは『働く』ということに関して、だいたいそのようなことを口にした。僕はそのことに対して特に何の疑問を抱くことなく、普通に大学に行き、普通に就職をし、普通に真面目に働いた。38歳まで・・・
そういうふうに生きることが人生のすべてだと思っていた。それ以外の人生なんて想像できなかった。それ以外の選択肢が存在するなんて夢にも思っていなかった。そんなこと考えたこともなかった。
だが、いつの頃からか、『働く』ということに僕は疑問を感じるようになった。言いようのない違和感のようなものを感じたのだ。僕は勤めている会社に労働力を提供し、その対価として給与やボーナスを受け取っている。要するにそれは『所得を得る』ということだ。お金の話ということだ。
でも、ちょっと待ってほしい。お金を得るって、勤めてる会社に労働力を提供することとイコールなのだろうか? 所得ってサラリーマンという立場じゃなきゃ得られないものなのだろうか? そんなことはない!
芸能人はサラリーマンじゃない。ラーメン屋のオヤジはサラリーマンじゃない。村上春樹もサラリーマンじゃない。スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグもサラリーマンじゃない。
それまでの僕は社会に出て働き、お金を得るということは「サラリーマンとして生きることだ」と思い込んでいた。だけどその思い込みをいったん放棄してみたのだ。そしたら、いろんなことが見えてきた。
それまで自分がいかに色メガネでしか世の中を見ていなかったか・・・それがはっきりわかった。
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昔のやり方が通用しなくなってきている
僕が求めていたのは『常に自分自身でいられる』という状態だった。
時間を自分で好きなようにコントロールすることができて、好きな髪型にできて、好きな服を着ることができる
会社に拘束されることなく、組織に縛られることなく、好きな時間に起きて、好きな時間に寝られる
誰に気兼ねすることなく、誰に気を使う必要もなく、誰かの顔色を伺わなくてもいい
そこには満員電車も、サービス残業も、休日出勤も、退屈な会議も、苦痛なだけの接待も、転勤も、出張も、社内の人間関係のわずらわしさも何もない
僕が本当に求めていたのはそういう状態を手に入れることだった。僕の考える幸せとは決してサラリーマンになって、福利厚生のしっかりしたいい会社に就職して、安定した収入を得ることではなかった。
ところが僕の親もひっくるめて、まわりの大人たちはみんなそんなふうには考えてはいなかった。サラリーマンとして真面目に定年に勤め上げ、引退した後は退職金と年金でほそぼそと暮らすことが幸せだと考えていた。そこに大きなズレがあった。
僕は相当、運が良かったんだと思う。いろんなところにアタマをぶっつけて、しっちゃかめっちゃか悩み苦しんだおかげで、僕はなんとか突破口を見つけることができた。
「人生にはいろいろな可能性がある」ということや、「無数の選択肢がある」ということをはっきりと認識することができた。でもそれはたまたま僕の場合、運が良かっただけの話で、一歩間違えると可能性や選択肢なんかを発見することができないまま一生を終えていたのかもしれないのだ。
親は子供に「幸せになってもらいたい」「人生の成功者になってもらいたい」と望む。だから自分がそれまで歩んできた人生の中で知り得た有益な情報を子供に伝達しようとする。
だが、その「有益な情報」ってやつは、その親自身が『これは有益な情報なんだ』と思い込んでいるだけに過ぎないことなのだ。それがそっくりそのまま子どもの人生にとって有益かどうかは、また別問題なのだ!
かつては「いい会社に入って真面目に働き、定年を迎えて年金をもらう」という生き方が最も賢い生き方だった。しかし、今は違う・・・世界は完全にグローバル化し、AIやロボット技術は目まぐるしい発展を遂げている。そんな世の中にあって『昔のやり方』や『昔の考え方』が通用するはずがない。
どんなに福利厚生のしっかりした大企業に就職できたとしても、それで幸せが約束されるわけではない。その会社自体がなくなってしまうかもしれないのだ。どこかの外国の会社に乗っ取られ、社員のほとんどがリストラされてしまうかもしれないのだ。
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考え方を変えることができなかったツケはいつか巡ってくる
今の時代は会社に雇われるだけの状態は「かなり危うく、不安定な立場」だ。何もかも昔とは違うのだ・・・にも関わらず、多くの人はいまだに昔のやり方と昔の考え方から抜け出せずにいる。
子を持つ親の多くも、いまだに「一生懸命勉強して、いい会社に入って、定年まで真面目に勤め上げて、年金をもらえ!」と子供たちに教えている。
世界はこんなに激しく動いているというのに、多くの人はそれに気づいていない。そしてあいも変わらず『昔と同じ』にこだわり続けているのだ。
人生はアタマの中でつくられる。考え方を最後の最後まで変えることができなかったツケは、いつか必ず何らかのかたちで払わなければならなくなるだろう・・・
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