【非常識バンザイ!】 人生で迷ったら自分のやりたいことを優先させた方がいい理由とは?

2019年10月21日

僕はただただ自由気ままに、好き勝手に生きたくて不動産投資をはじめた。そこにはもちろん巨大なリスクがあったのだけれど、そっちの進んだ方が単純に楽しそうだったし、幸せになれそうな気がした。だから思い切って、そのリスクの中へ飛び込んだ。

その結果、『自由』『幸せ』『心の平安』『健康的なカラダ』etc・・・僕はいろんなものを手に入れることができた!それらのものを手に入れることができたことは、すごくハッピーなことだった。

 

だけどセミリタイア生活をスタートさせてしばらくは、なかなかその生活に馴染むことができなかった。しばらくの間、「オレだけこんなに自由に生きていいんだろうか?」「オレだけこんなにラクをしていいんだろうか?」という想いに僕は苦しめられた。

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僕は意味もないことに怯えていた

サラリーマンをしていた頃、あんなに憧れた会社に縛られない人生。だけど、いざ本当にそういった生活を手に入れてみると、そこには何とも言えない『罪悪感』や『後ろめたさ』のようなものがあった。

その頃、僕は38歳。まだまだ若い。38歳といえば、世間的には「働き盛り」と言われる年齢だ。僕の友人たちはスーツを着て、ネクタイをしめ、みんな夜遅くまで働き続けていた。

 

そんな中、僕一人だけが突然、他の人とまったく違う生き方を(それは自分で選んだことであるのだが)送ることになったのだ。そこには当然、戸惑いがあった。罪悪感のようなものがあった。

僕は自由になりたくて、好きなことをして生きたくて、家族と過ごしたくて、会社に縛られたくなくて、リスクを取って自分で事業をはじめたのだ。そして当初の思惑通り、僕は自由でストレス・フリーな幸せな生活を手に入れた。それなのになぜ罪悪感を感じる必要があるのだろう?

 

この「後ろめたさ」のようなものの正体とはいったい何だろうか? ヘンな言い方をすると、あの頃の僕はある種の『妄想』に取り憑かれていたのだと思う。それはどんな妄想か?

サラリーマンの世界からドロップアウトしたら安定しないという妄想

自由に自分勝手に生きたら、何か悪いことが起こるという妄想

わがままに生きたら、みんなから変わり者だと思われるという妄想

自分で事業をやると必ず失敗するという妄想

etc・・・

 

今にして思えば、あの頃の僕はいろんな妄想に取り憑かれていた。ありもしないものを「ある」と決めつけ、自分でつくりあげた想像上の産物に怯えていた。でもそのときの僕の怯えは全部、取り越し苦労だった。

僕が「ある」と思っていたものはすべて「ない」ものだった。

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あなたの見ている現実は本当に正しいのか?

実際にはサラリーマンという肩書きを失ったとしても全然生活は安定していたし、自分で事業をやった方がはるかに高い所得を得ることができた。それなのに僕は実際には存在しない影におびえ、勝手に罪悪感や後ろめたさのようなものを感じていたのである。

でも妄想を抱え込んで、勝手にこじらせてる人って結構いるような気がする。自分で勝手にストーリーをつくりあげて、「〇〇に決まってる!」と思い込み、勝手にあきらめちゃってる人って結構いるような気がする。

 

あなたはどうだろうか? 妄想に取り憑かれてはいないだろうか? 実際には「ない」のに、さも「ある」かのように錯覚してはいないだろうか? やってみれば本当は全然大したことじゃないのに、それをやることが人生の一大事であるかのように大げさに捉えてはいないだろうか?

 

本当はあなただって僕みたいにサラリーマンをやめて、毎日自由気ままに生きることができるかもしれない。それなのに「そんなの絶対にできない。非現実的な話だ」と決めつけているだけなのかもしれないのだ。

自分が抜けたらチームに迷惑がかかる

会社からの給料やボーナスが途絶えたら人生は終了する

自分の力でお金を稼ぐことなんて無理ゲーだ

投資なんか「水商売」みたいなものだ

不動産投資のような莫大な借金をするようなものは自分にはできない

家族に迷惑がかかる

妻を泣かせる

親を悲しませる

子どもを路頭に迷わせる

etc・・・

 

妄想はどこまでもどこまでも続いてゆく。そのようにして人はだんだん『現実』に押しつぶされてゆく。本当にやりたいことをひとつひとつあきらめてゆく。そして気がついたら、50歳・60歳・・・

もう人生にはわずかな時間しか残ってないような年齢に差し掛かっているのである。

 

なぜ人はそんな風にして簡単に妄想に取り憑かれてしまうのだろうか?僕の経験から言わせてもらえれば、そこにあるのは『親の存在』である。親と子の関係が人生に与える影響は軽く見ない方がいい。僕たちは知らず知らずのうちに親からの影響を受けている。

時にはそれが人生の行動指針となることさえある。僕が「働かないでラクして生きる」というライフ・スタイルに罪悪感を抱いたのも、やっぱり親から言われたこと・教えられたことが大きく作用している。

 

うちの両親も(多くの親がそうであるように)僕に散々っぱら『勤勉であることの大切さ』を叩き込んだ。

汗水垂らして働くことは何よりも尊いことだ

お金は汗水垂らして働いた対価として受け取るものだ

だから一生懸命、真面目に働かなきゃいけないのだ

 

真面目な働き者の僕の両親は、いつも僕にそのようなことを言っていたような気がする。でも僕がそのとき考えていたこと、やろうとしていたこと、行こうとしていたところは両親の教えとまるで正反対だった。

だから僕の中にある『良心』のようなものが疼いたのだ。

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無責任上等!

僕の罪悪感はどうやらそこから来ているようだった。どこかで両親の悲しむ顔、がっかりする顔、怒った顔が目に浮かんだ。オレがやろうとしていることは、もしかしたらお父さんやお母さんを傷つけてしまうことなのかもしれない・・・その想いが僕に罪悪感を抱かせていた。

さて、そんなときいったいどうしたらいいのだろうか・・・?

 

「関係ないから!」と開き直ってみよう。「そんなもん知ったこっちゃないから!」と相手に伝えてみよう。無責任上等! 非常識万歳! 「人でなし」となじられようが、「親不孝もの」と罵られようが関係ない。

僕はやっぱり自分がイイと思った道へ行くべきだと思う。その方が結果的に自分もハッピーになれるし、まわりもハッピーにする。

 

自分のやりたいこともやらずに、ヘンに暗くなってみたり、いつもイライラしていたりするよりもはるかにマシだ。そうやってまわりに気を使って、我慢して、自分を押し殺して、心やカラダに変調をきたしたりでもされたらそっちの方がまわりに迷惑をかける。

親を泣かせようが、上司を困らせようが関係ない。罪悪感なんかかなぐり捨てて、自分が心の底からハッピーになれそうな道を選択するのだ!

 

僕たちはまわりの大人たちから何かを植えつけられている。親、学校の先生、親戚、先輩、上司、テレビ、本、インターネット、etc・・・知らないうちに妙なものをインプットしてしまっている。

どこかの時点で、それをいったん廃棄しに行かなければならないのだ。僕の場合は脱サラ起業したときがその局面だった。それを廃棄せず、ずっと放っておくと、だんだん健康を害してくる。ゴミはやっぱり定期的にゴミ処理場へ行って、捨ててこなくちゃならないのだ!

 

そのままにしておくと、必ず老廃物がたまり、それが必ず心とカラダに悪い影響を及ぼすのだ。

もしもあなたが自分のやりたいことに罪悪感のようなものを感じているのだとしたら、それは逆にチャンスかもしれない。それはあなたを苦しめていたモノをキレイさっぱり処分できる絶好の機会かもしれないのだ!  

 

ケインズはこんな言葉を残しています。

 

世の中の大多数の人は、常識どおりに動いて失敗するほうが、常識に反して成功するよりましだと考えている。

 

 

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