不動産投資で経済的自由を確立して北海道でセミリタイア生活を送る大家のブログ

サカモトハルキの『僕はこう思う』

サカモトハルキ(映画好き大家さん)。
北海道で5棟74部屋+月極などの大家さんやってる40代ブロガー。
会社経営者。
不動産会社勤務を経て、38歳で経済的自由を確立 。セミリタイア生活へ。
2011年より法人化(法人8期目)
ブログでは「お金」「不動産投資」「人間関係」「教育」などを中心に発信中。
映画と音楽が大好き!
家族と猫とのんびり自由に生きてる小学生男子2人のパパさんです。
国際NGO『プランジャパン』のチャイルドスポンサーもやってます。

詳しいプロフィールはこちら

兄弟ブログ『サカモト流カイシャク』の方もよろしく!

Twitterやってます。気軽にフォローしてください!

少しでもみなさんのお役に立てたのであれば、
下記のリンクをクリックしてランキングへのご協力をお願いします。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 40代セミリタイア生活へ

にほんブログ村 40代セミリタイア生活

【もうちょっと気楽に生きてもいいじゃないか!】 僕が考える「幸せな生き方」について語ろう

2018/10/20
 
この記事を書いている人 - WRITER -
サカモトハルキ
北海道で5棟74室+月極Pの大家さんやってます。会社経営者。不動産会社勤務を経て38歳で経済的自由を確立。セミリタイア生活へ。2010年12月より法人化(8期目)。ブログでは「お金」「不動産投資」「人生哲学」をテーマに発信中。映画大好き!奥さん&中1小4男子(あと猫も)とのんびり自由に暮らしてまーす。
詳しいプロフィールはこちら

僕は根が貧乏性なのでお金がないとすぐに不安になってしまう。

だから最近流行りの『お金がなくても心が豊かであればそれでいい』的な崇高な価値観にはどうも馴染めない。

 

お金はあるに越したことはない。

ないよりもあった方が良い。

単純にそう考えてしまうのだ。

 

僕はあまりセコセコした人生は送りたくはない。

お金のことであまりカツカツしたくない。

 

これは贅沢三昧のセレブな生き方をするという意味ではない。

贅沢はしなくてもいいけれど、セコい人間にもなりたくはない。

 

そのためにはある程度のお金が必要だ。

この『ある程度のお金』という部分が最も大事なことだ。

 

スポンサーリンク

お金だけを追い求める生き方もしんどい生き方だ

僕は映画が大好きだ。

でもお金がなかったら映画館に映画を観に行くこともできない。

TSUTAYA で新作映画をレンタルすることもできない。

 

お金がないという理由で、そういう自分の楽しみを制限されるのは嫌だ。

それは僕にとってものすごいストレスだ。

 

そのストレスを解消するためにはある程度のお金が必要だ。

観たい映画が公開されたら自由に観に行くことができるくらいの最低限のお金は必要だ。

別にフェラーリがほしい!_____という話ではない。

 

お金がなくても心が幸せであれば・・・・という価値観は僕には馴染まない。

もしもそういう貧乏暮らしを僕がやったら、きっと幸せにはなれないと思う。

 

好きな映画も自由に観に行けない人生なんてまっぴらごめんだ!

 

一方において、お金だけを追い求める生き方というのも鬱陶しい。

だから僕は『ある程度のお金』と言ったのだ。

 

ある程度のお金があれば心にゆとりが生まれる。

地に足がついた余裕のある暮らしができる。

 

お金がない状態というのは非常に疲れるものだ。

あれやこれやいろんなことを考えなければならない。

 

ある程度のお金があれば、考えることも少なくて済む。

人生はただでさえもいろいろ考えなければいけないことがいっぱいあるのだ。

これ以上考えることを増やしたくない。

 

お金に執着しないためにもある程度のお金は必要なのである。

貧乏というのもある意味においてはお金に執着した生き方なのだ。

 

ところが今度、お金を追い求めすぎるとこれまた困ったことが起こる。

これもお金に執着した人生を送ることになる非常に疲れる生き方だ。

常にお金のことを考えて暮らさなければならないのだから・・・

 

スポンサーリンク

 

富裕層ってそんなにいいですか?

先日 NHK で富裕層の特集をやっていた。

彼らは若くして億万長者となり、税金の高い日本を飛び出して税金の安い海外に移り住んだ。

 

そうやって税金の安い国に移り住み、さらにお金を儲けようという魂胆だ。

フェラーリを乗りまわし、サラリーマン10人分の年収をわずか1ヶ月で稼ぎ出す。

 

しかし、それでもまだまだお金がほしいというのだ。

これまたお金に執着した極端な生き方だ!

 

貧乏もしんどそうだけど、こっちの生き方もしんどそうだ・・・

 

僕はちっとも彼らのことがうらやましいと思わなかった。

お金への執着を手放せないという意味ではお金に困っている貧乏な人とさほど変わらないという印象を受けた。

 

どこか哀れにも見えた。

本当に お金の心配をしなくてもいいくらい稼ぎ出したのに、いまだに必死になってお金を追い求めているその姿はどこか滑稽ですらあった。

 

僕は億万長者というのは毎日海辺に寝転んで、サーフィンをやってのんびり暮らしている人たちのことをいうのだと思っていた。

ところがそうではなかった。

 

目の色を変えて、今日も明日もお金を追い求めている。

自分が住む国を変えてまで「税金を払いたくない!」というのである。

フェラーリを買うぐらいのお金があるのに「税金を払いたくない!」というのである。

 

僕には彼らがいったい何をしようとしているのかさっぱり理解できなかった。

そんなにお金を稼いでいったいどうしようというのだろうか・・・?

 

スポンサーリンク

 

気楽に生きてる人が減った

僕は学校のテストでいえば、60点70点くらいでいいのではないか?と思っている。

20点30点はさすがに少なすぎる。

かといって90点100点を狙う必要もない。

 

60点70点くらいがちょうどいい。

そのぐらいの点数を取っていれば親からも先生からもそれほどを怒られはしないだろう。

秀才ではないかもしれないが、落ちこぼれでもない。

 

真ん中よりもちょっと上くらい。

それくらいがちょうどいい。

それくらいいちばんラクチンだ。

 

上にいる連中からも、下にいる連中からも睨まれずに済む。

身の安全が確保される。

 

それは結果的にストレス・フリーな生き方ということになるのではないだろうか。

 

僕のお金に関するスタンスもちょうどこのくらいだ。

それほどお金持ちではないかもしれないけれども、それほど貧乏でもない。

だからそこに余裕が生まれる。

ゆとりが生まれる。

 

そんなにお金のことでセカセカする必要もない。

「お金をもっと稼がなければ!」と焦る必要もないし、「お金が足りない!」と焦る必要もない。

 

いちばん気楽な位置だ!

こういう気楽さは人生においても非常に重要なことだと僕は思っている。

 

現代人たちはこの『気楽さ』どこかに忘れてきてしまったように僕の目には映る。

僕が子供の頃には気楽に生きている人というのは結構まわりにもたくさんいたものだ。

 

でもいつの間にかいなくなってしまった。

あの人たちはいったいどこへ行ってしまったのだろうか。

 

お気楽な人がいなくなってしまったのなら仕方ない。

僕がなるしかあるまい。

僕が「気楽に生きてる不思議なおじさん」になるしかない。

 

あの人いったい何やってる人なの?

_____と、いぶかしげな目でご近所から見られるようなおじさんに僕がなるしかあるまい笑

 

スポンサーリンク

 

将来の心配ばかりしている人はおもしろくない

僕の同級生なんかと話をすると、みんな老後の心配ばかりしている。

僕は団塊ジュニア世代なのだが、僕らが社会人として働きはじめてから年金の支給年齢がどんどん引き上げられた。

 

60歳から65歳へ。

そして今、税制調査会では70歳へ引き上げられる案が話し合われている。

 

しかも、その年金制度自体がどうなるかわからない・・・

そりゃ不安になっても当然だ!

 

だから僕の同級生たちも、

「引退時にまでに最低でも5,000万円は貯蓄しておかなければならない」とか、

「70歳以上になっても働きつづけられるように今から何らの資格を取得しておかなければならない」とか、

そういう話ばかりしている。

 

みんな深刻そうだ。

みんな自分の将来をシリアスに捉えている。

 

でも僕に言わせてみれば、彼らはまったく悲観的になる必要がないように思える。

それぞれ学校の先生とか、市役所だとか、名の通った企業だとか、みんなかなりいい仕事にも就いている。

 

不安に取り憑かれる必要なんてこれっぽちもないではないか。

もう少し肩の力を抜いて気楽に生きてもいいのではないだろうか。

素直に僕はそう思う。

 

かえってもう少し気楽に生きた方がいろんなことがうまくいくのではないだろうか。

カラダも健康になるのではないだろうか。

 

お金の心配ばかりをしだすと人生はいよいよ楽しくなくなる。

「まあ、何とかなるだろう」と気楽に構えていた方がよっぽど楽しい人生をおくれるというものだ。

 

定年したあとは彼らには何と言ってもお待ちかねのが待っている。

もう満員電車に揺られる必要はない。

もう社内の醜悪な人間関係に悩まされることもない。

 

子供たちも巣立ち、学費にもお金がかからない。

その頃にはもう住宅ローンも片付いているだろう。

 

夫婦二人が暮らす分の生活費なんてたかが知れている。

奥さんと二人で自由に楽しく暮らせばいいではないか。

 

子供たちの高い学費や住宅ローンを払ってきたことに比べてたら、きっと天国と地獄の差があるんじゃないだろうか・・・

 

ところが僕の同級生たちはそのようには決して考えない。

将来を楽観的に捉えることができず、悲観ばかりしている。

 

そのおかげで毎日ため息をつき、精神的にも肉体的にも健康を害している。

見るからにおもしろくなさそうな顔をしている。

 

覇気がない。

肌ツヤが悪い。

話をしていてもちっともおもしろくない。

 

いやそれどころか、話をしているとどんどん暗い気持ちになってくる・・・

 

彼らは『現在』を犠牲にしているのだ!

彼らは現在をハッピーに生きることを忘れている。

 

もう少し気楽に生きられないものだろうか。

 

スポンサーリンク

 

人生は『晴耕雨読』でいいんじゃないか?

僕は一人っ子だったせいもあるのかもしれないけれど、もともとカリカリするタイプではなかった。

学校時代も、社会人になってからも誰かと何かを競い合ったりすることが大の苦手だった。

 

そんなことに心血を注ぐくらいだったら、自分の好きなことをやってのんびりとした時間を過ごしたいと考えるタイプの人間だった。

カリカリした人を見たり、カリカリした人のそばにいるといつも居心地が悪かった。

「早くこの場から離れて、家に帰って映画でも観たいなぁ・・・」といつも思っていた。

 

僕は思うのだけれど、人生というのはカリカリ生きたからといってうまくいくというわけではない。

むしろ投資や商売の世界ではカリカリしたヤツというのは失敗する確率が高い。

 

「成功者はすべてのんびり屋さんだ!」とまではさすがに言わない。

だけど少し余裕のあるくらい方がうまくいくように感じられる。

 

みなさんだってカリカリして焦ってる営業マンよりも、少し余裕のある営業マンからモノを買いたいと思うだろう。

僕も営業畑を歩いてきたが、僕の見てきた優秀な営業マンは人間的に魅力のある人が多かった。

 

いつも笑顔で、爽やかで、決してお客さんに商品をゴリ押しするようなマネはしなかった。

そんなことをしなくても、お客さんの方から「ぜひ契約したい!」とアクセスがあった。

 

僕はこれって人生にも置き換えて考えることができると思っている。

リラックスして生きるということは風通しがいい。

風通しがいいということはストレスフリーで、爽やかに生きることができるということだ。

 

そういう風に軽やかに生きている人は自然と笑顔があふれる。

いつもニコニコしているから人からも好感をもたれる。

 

人生もこうありたいものである!

 

僕はことあるごとにこのたとえ話をするのだけれど、北海道大学に入学するのに(東京大学でも別にどこでもいいのだが)トップの成績である必要はない。

下から数えて2番目でも3番目でもいい。

 

別に先頭でゴールしなくても、「北海道大学に入学した」という結果は同じなのだ。

 

それなのにいつのまにか僕たちはトップの成績で(あるいはトップ集団として)ゴールしなければならないという強迫観念に囚われてしまっている。

下から2番目3番目くらいの位置を目指して、ゆっくりのんびりやった方がはるかに気楽に生きられるのに・・・

 

肩肘張ってカリカリ生きても、ゆったりのんびり生きても結果はさほど変わらないというのが僕の考えだ。

だったら僕はゆったりのんびり生きる方を選びたい。

 

晴れた日には畑を耕して汗を流すけれど、雨の日には家でゆっくり本を読んで過ごすという『晴耕雨読』でいきたい。

 

人生の時間すべてが仕事によって埋め尽くされるような 生き方はしたくない。

そういった人生はプレッシャーがすごい。

ストレスもすごい。

 

よほど能力のある人でなければ、そういったしんどい人生をハッピーに生き抜くことはできないだろう。

僕たちはしんどい想いをするために生まれてきたのだろうか。

いや違う。

 

僕たちはハッピーに生きるために生まれてきたのだ!

 

スポンサーリンク

 

ガンバリズムは迷惑な話

日本はとかく浪花節的なものが大好きだ。

だから苦労に苦労を重ねて・・・とか、そういう話が大好きだ。

 

しかし、あまり度が過ぎるとちょっと困ったことになる。

頑張り屋さんは頑張り屋さんゆえに軽やかに生きられないという側面がある。

 

自分で蓄積してきたノウハウや考え方を軽やかに脱ぎ捨てることができない。

だからいつまでもそのしんどいやり方にしがみつくことになる。

 

僕は何よりも自由を尊重する人間なので、こういったタイプの人はできることなら関わり合いになりたくない。

向こうだって僕みたいなのんびり屋さんとは関わり合いになりたくないと思ってるはずだ笑

 

もちろん頑張って苦労して自分の居場所をつかみ取ったという努力は認める。

それはすごいことだと素直に思う。

 

でも、その『ガンバリズム』が鼻につくようになったら困りものだ。

なかには「お前もやれ!」と、自分がやってきたことを人に強制しようとする人もいる。

そこまで行くとちょっとやりすぎだ。

 

時々「何がなんでも一番にならなきゃ気が済まない」というタイプがいる。

トップ集団にいることが最大のステータスになってしまっているような人たち・・・

 

僕が最も苦手とする人たちだ。

今、世の中的には『勝つことが最大の価値だ!』的な考え方が蔓延しているように見える。

 

非常に危険な兆候だと僕は見ている。

そうやって一番になることや勝つことばかりを考えて生きていると、心に余裕やゆとりがなくなってゆく。

人生がストレスでいっぱいになる。

 

そうなると風通しが悪くなり、余計なものがどんどん溜まってゆく。

老廃物がいっぱい溜まり、そのうちにっちもさっちもいかなくなる。

 

そういう社会というのはやっぱり生きにくい社会と言えるだろう・・・

 

「トップになりたい」

「あいつに勝ちたい」

「自分だけいい思いがしたい」

「安定した立場になりたい」

etc・・・

 

その気持ちは痛いほどよくわかる。

しかしながらそうやって必死になればなるほど、どんどん息苦しくなってゆくようでは困る。

 

スポンサーリンク

 

僕にとっての幸せとはどのようなものか?

どうせ生まれてきたのならば、楽しい人生を送りたいではないか!

もっと気楽に、もっと爽やかに、もっと自由に生きたいではないか!

 

そのために100点を目指すのではなく、60点や70点ぐらいを目指し、あとの余った時間で自分の好きなことをやって過ごす方がいいのではないだろうか。

 

超富裕層たちは税金の低いシンガポールでフェラーリを乗り回し、夜な夜なシャンペンを飲んでいるらしい。

しかし僕はちっとも彼らのことが羨ましいとは思わない。

 

そういう巨万の富を追い求める人生というのは、なかなかしんどい生き方だと思う。

それは北海道大学をトップの成績で入学しようとしているようなものだ。

常にテストで100点を取ることを命題とするような生き方だ。

 

それは僕の好む生き方ではない。

僕はそういうカツカツした生き方はしたくない。

 

そんなこんなで今日も僕は TSUTAYA で映画を借りてきて、家で奥さんと一緒にスナック菓子を食べながらコーヒーを飲んで映画を観ている。

これが僕にとっての至福の時間なのだ。

 

僕はアパートの大家さんなので、明日会社に行く必要もない。

カリカリ、セカセカする必要もない。

 

億万長者にはなれないかもしれないけれど、自由な時間とストレスフリーな毎日がそこにある。

晴耕雨読でいいのだ。

 

それが僕にとっての幸せなのだ。

 

 

スポンサーリンク

 

スポンサーリンク

 

 

*今回の記事が少しでもみなさんのお役に立てたのであれば、
下記のリンクをクリックしてランキングへのご協力をお願いします♪

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 40代セミリタイア生活へ
にほんブログ村 40代セミリタイア生活

スポンサーリンク

僕の詳しいプロフィールはこちら
→ Twitterやってます。気軽フォローしてね! 

こちらの記事もよく読まれてます!

この記事を書いている人 - WRITER -
サカモトハルキ
北海道で5棟74室+月極Pの大家さんやってます。会社経営者。不動産会社勤務を経て38歳で経済的自由を確立。セミリタイア生活へ。2010年12月より法人化(8期目)。ブログでは「お金」「不動産投資」「人生哲学」をテーマに発信中。映画大好き!奥さん&中1小4男子(あと猫も)とのんびり自由に暮らしてまーす。
詳しいプロフィールはこちら

スポンサーリンク




 
 

スポンサーリンク




- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Copyright© サカモトハルキの『僕はこう思う』 , 2018 All Rights Reserved.