【もっと身軽になろう!】 なぜ手放せば手放すほどいろんなものを得ることができるのか?

2019年6月14日

僕は毎月『プラン・ジャパン』という国際NGO団体に毎月わずかばかりのお金を寄付している。本当にわずかな金額である。もう何年にもなる。これは僕が個人的に勝手にやってることなので、決して人に勧めたりなんかはしない。

その団体を通じて、僕はフィリピンに暮らすドミニク君という少年と出会った。出会ったといっても、手紙でやり取りする程度のことだ。僕の長男と同じ歳のとても可愛い男の子だ。

 

彼は今、とても大変な状況にいる。だから何とかして手助けしてあげたいのだが、とてもじゃないけど僕の力だけではどうすることもできない。

『プラン・ジャパン』という団体に寄付をするという行為は、「お金」というモノサシで見ればマイナスということになるだろう。へんな話だが、そのお金があれば僕は家族と一緒に外食に行ける。フィリピンのドミニク君に送金なんかしなければ、家族においしいものを腹いっぱい食べさせることができるのだ。

 

しかし、物事というのはお金というモノサシだけでは計れない。特に幸福感や満足感といったようなものは・・・

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幸福はお金というモノサシだけでは計れない

僕は現代社会が資本主義の世の中であることは百も承知だ。僕も資本主義の恩恵をたっぷりと受けて暮らしていることも知っている。だけど、だからと言ってすべての物事がお金さえあればそれでいいというわけでもない。

お金持ちになりさえすれば必ず幸福になれるというのであれば、話は簡単だった。だけど、実際には全然そんな風になっていない。僕は幸せなお金持ちの人もたくさん知っているけれど、不幸なお金持ちの人もたくさん知っている。

 

僕は個人的にベンツを乗りまわし、夜な夜な繁華街を飲み歩く大金持ちの歯科医の人を知っている。その人は自分の暴力衝動を抑えることができず、奥さんや子供に暴力をふるい、ついには心を病んでしまった・・・僕の目にはその人はとてつもなく不幸な人に見える。

幸福感や満足感といったものは必ずしもお金さえあれば得られるものではない、ということだ。どんなに金銭的に満たされていたとしても、他の部分で深刻な闇を抱えていた場合はやっぱり人生は悲惨なものになるのである。

 

僕が『プラン・ジャパン』という団体にお金を寄付すればするほど、僕のフトコロからはお金は消えてゆく。だが、それは「お金」というモノサシで見た場合の損失だ。僕が送ったわずかばかりのお金がフィリピンのドミニク君のもとに届けられ、そのことによって彼の人生が少しでも救われる・・・そのことを想像すると、僕の心も少しだけ幸せになり、満たされる。

 

それが自己満足の類のものであることは百も承知だ。どこまでいっても偽善の領域を出ないことも知っている。しかし、誰が何と言おうと、その寄付という行為をすることによって僕の心に平安が持たされることは事実なのだ。

その幸福感や満足感は、決してお金というモノサシでは計れないものなのだ。

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得ることばかりを考えて生きるのはバランスが悪い

このことを何という言葉で表現したらいいか分からない。『慈愛』という言葉になるのだろうか・・・「幸せになれない・・・」という悩みを抱えている人は、是非とも『誰かに何かを与える』ということを実践してみてほしい。

僕たちは「得ること」ばかりについつい躍起になってしまう。でも得ることばかり考え、ガメつく生きる人のもとには幸せはやって来ない。

 

みなさんのまわりにもいるだろう。自分がトクをすることしか考えてないようなタイプの人が・・・そういう人は人からの信用も得られず、評価もされていないのではないだろうか? もっと言えば、そういう人は人から嫌われているのではないだろうか?

そりゃそうだ! 平気でまわりを出し抜き、駆け引きし、欺き、自分ひとりご馳走にありつくことしか考えていない・・・そんな人間をいったい誰が信用するだろうか? そんな人間をいったい誰が評価するだろうか?

 

本当にハッピーな人というのは『余裕』というものを持っているものだ。あらゆる面で余裕があるから、自分のことばかりではなく、まわりの人のことも考えられる。

みなさんのまわりにいる、人生がうまくいってる人のことを思い浮かべてみてほしい。いつもニコニコしていて、落ち着いていて、どこか余裕があるはずだ。

頼り甲斐があり、人間としても信用できる。まわりからも慕われ、評価もされている。みなさんのまわりにいるハッピーに生きてる人というのは、おそらくそういうタイプの人だと思う。

 

得ることばかり考えて生きるというのは、なんだかバランスが悪いような気がする。やっぱりバランスってすごく大事なことだ。バランスが取れているというのは、新陳代謝が活発に行われているということでもある。

新陳代謝が活発だということは、それだけ健康的だということだ。

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「身軽になる」ってすごく大事なこと

これは何も肉体的な話だけではない。こころの健康を維持するためにも新陳代謝は必要なことなのだ。

得よう、得よう

奪おう、奪おう

得をしよう、得をしよう

ため込もう、ため込もう

etc・・・

そんなことばかり考えていると、まずろくなことにはならない。それはバランスを欠いているからなのだ。新陳代謝が正常に行われていないからなのだ。

 

何かを得たのならば、何かを与えなければならない。何かをインプットしたのならば、その分、何かをアウトプットしなければならない。そうしてはじめてバランスというものは整う!

そうしなければ、どんどん老廃物がたまり、閉塞感ばかりが募ってゆく。風通しが悪い・・・最後はゴミ屋敷のような状態になって、にっちもさっちもいかなくなる。

 

みなさんにも思い当たるフシがあるのではないだろうか。余計なものを過剰なまでに背負いこんでしまった結果、人生が悪い方悪い方へと流れてゆく・・・・そんな感覚。

もしもハッピーに生きたいのならば、身軽になってみよう! 人間関係にしろ、仕事のことにしろ、自分が固執していることにしろ、etc・・・いったんすべてを手放しみるってすごく大事なことだ。そうやって不要なものを手放し、常に自分のまわりを新鮮な状態にしておくことって、すごく重要だ。

 

みんなこれができなくて、だんだん人生の落とし穴にハマってゆくのである。身軽になって、スイスイと生きてゆくことができれば、とてもラクチンなのに・・・

人はどうしてもガメつく生きようとしてしまう。ガッツいて、いろんなものをため込むことばかりに躍起になってしまう。得ることばかりで頭がいっぱいになり、与えることを忘れてしまう。

 

そうなるとバランスが悪くなり、そのバランスの悪さが結果的に人生を良からぬ方向へ導いていってしまうのである。僕はこれまでの人生経験を通じて、このことを学んだ。

「あれが欲しい」「これが欲しい」といった具合に何かを欲してばかりいる人のところには何もやって来ない。そのことに気づいたのである。

 

「人に何かを与えるのなんてもったいない」「損したくない」というのは、貧乏くさい発想そのものである。『損して得とれ』という言葉があるけど、お金持ちほど気前がいいものだ。ケチでお金持ちになった人は一人もいない。お金持ちになりたかったら、お金持ちマインドを持たなければならない。

だから、その必死にしがみついているものを思いっきって切り捨ててしまおう! みなさんのエネルギーを奪おうとするもの・・・それは家の中にある不用品かもしれないし、みなさんが普段接している人間関係かもしれない。

 

もしかしたら、それは過去のトラウマかもしれない。もしかしたら、それは「その方法ではうまくいかない」ということがもう散々、立証されているのにも関わらず、みなさんが「いや、そんなことはない! オレは間違ってないんだ!」と意地を張ってこだわり続けているものかもしれない。

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利己的な考え方は行き詰まる

いったん、全部放り出してしまおう! 身軽になってみよう! インプットするのを一時停止して、アウトプットすることに注力してみよう! そうすれば、風通しは良くなる。バランスが良くなる。窒息しそうな息苦しさから解放される。

荷物が多すぎるのだ。余計なものを持ち過ぎているのだ。過度に情報を入れすぎているのだ。すべてがTOO MUCHなのだ。だから、その過剰摂取を今すぐやめなければならない!

 

『捨てる神あれば、拾う神あり』

取り込むことばかり考えるのではなく、身軽になることをもう少し重要視してみよう。得ることばかりではなく、与えることも重要視してみよう。そうすれば、すべてが変わる!

 

人生がうまくいってない時の僕はとても利己的で、自分のことしか考えてない人間だった。お金、恋愛、仕事、友情、その他の人間関係、etc・・・すべてにおいてガメついだけの魅力のない男だった。すべての手柄を独り占めしようと虎視眈々とまわりを伺うようなタイプの人間だった。

欲の権化だった。欲に取り憑かれた哀れな人間だった。そんな人間がどうして人から愛されるだろう? そんな人間がどうしてお金持ちになれるだろう? そんな人間がどうしてまわりからの信頼や尊敬を獲得することができるだろう?

 

僕は巨大な勘違いをしていたのである! 僕の苦しみは、自分自身が招いた結果なのである。自分自身が自分自身の首をしめていたのである。

物理的な意味でも、精神的な意味でも、自分のまわりを不用物だらけにして、結果的に閉塞感の中でもがき苦しんでいただけだったのである。

 

フィリピンで暮らすドミニク君とのやり取りは、僕にとって何ものにも代え難い貴重なものとなっている。僕はドミニク君に感謝しなければならない。うまく言えないけれど、彼の存在は僕にとって『希望そのもの』だ。いつかフィリピンに行って、彼に直接「ありがとう!」と伝えたい。

僕が彼を救っているのではない。彼が僕を救っているのだ!

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https://sakamotoharuki.com/sikou-patern/
 

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